JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





十一周目四番



 ふわぁ……。
 楽を奏でるにはさぞかし苦労するであろう、小さな掌を口元に当て、上品に、そして可愛らしく少女はあくびをした。時は深更にはまだ間があるとはいえ、夜の帳が下りて久しい頃。眠気を払う為か口元から目元へと移された温かな色合いの桃色をした手指の持ち主には、やはり早くはない刻限なのか、夢に誘われるかの如く、おっとりと背もたれの高い椅子にしな垂れかかっている。
 まどろむような静穏にして濃密な宵闇の気配に包まれた部屋で、緋色に身を包むその少女は、その幼げな、何も知らずに時を駆け抜ける、只そのことにすら幸福を感ずるかのような純真さを宿した容貌からは、全く掛け離れた言葉を紡いだ。
「……『鼠』が入り込んでいますね?」
 その声は、冷静ではあれ冷淡ではなく、ごくごく他者が少女の外面から想像する範囲に留まる甘やかさを多分に含んではいたが、言葉に潜む内面世界の発露を完全に消し去ることは出来ていなかった。
「そのようです、猊下。」
 答えた側にしても、その穏やかそうな、母の如き深い優しさ、懐しさを湛える女性らしい柔弱な佇まいながら、その実、老練極まりない知性を秘めた、確固とした意思の存在を感じさせる。外観から物事の本質を判断できると無意識に信じている一部の者達は、この聖域を教訓の場と為すべきであろう。この世界の一隅に集う、うら若き女性達は、二人ながら確かに巨大な宗教組織の頂点に立つ権力者であり、その外見とは裏腹に剣呑極まりない実力者であることが、その僅かな言葉のやり取りから分かる筈であった。
「聖教府の守りも我が騎士団の務め。私の失態です。申し訳ありません。」
「あなたは、よくやってくれていますよ。フィアナ。それに、これも布石の一つなのでしょう?」
「……。」
「……くす。そういうところは昔と変わりませんね、フィアナ。」
 赤い衣を煩げに玩びながらも、教母は楽しげに笑い声を上げた。
「少しでも、想定外の事項を減らす為に、外部勢力の漸減を図る。その第一段階というところですか。わざと招き入れて『永久なる追跡者』を放ちましたね?」
 『永久なる追跡者』。その名の通り、術者の精神力が続く限り、永久に対象を追跡する不可視の存在を召喚する術である。極めて強力な探索手段ではあるが、制御が難しく、並みの人間では精々、杯を空にするくらいの時しか維持できない。
「本拠、或いは拠点を探り、一気に叩くつもりなのでしょう?」
 当然、教母は聖教府で起きることを悉く把握している。
 修道士が殺されたことも、殺した者が如何なる助けを得て侵入してきたかも。
 そして。
 フィアナが、それをどう利用しようとしているかも。
 おそらく。
 いや、確実に。
 フィアナは、彼女にしては非常に珍しく、暫し逡巡するような表情を浮かべていたが、やがて目を伏せると観念したように口を開いた。僅かに動かされた腕を取巻く白い衣の襞が、仄かな炎の揺らめきに照らされ橙に滲み、新たに陰影を生み落とした。
「……現在、この地には様々な思惑を持つ者が集まり過ぎています。実際に、身の程知らずにも聖教府内にて術を行使している不逞の輩もおります。既に、時が迫っている以上、看過する訳にも参りません。」
「まぁ。そんなに畏まらないで下さい。今、この場では、私は教母ではないのですから……。でも、そうですね。私も考えねばならないかもしれません。何れ、避けられぬ騒乱ならば、速やかに片付けるのも止むを得ない……。」
 眠たげにたゆたう謎めいた氷蒼色の瞳に、時の重みに磨かれた知性の煌きが瞬く。
 フィアナは、教母の言葉ではなく、彼女の瞳の奥に見え隠れする、全てを知っているような深みを畏れた。
「まずは、かの術の使い手達から……あなたのお好きになさいな、フィアナ。開演の時は迫っています。演目が如何なるものになるにせよ、観客には自席に留まって頂かなくてはね?」
 再び、笑い声が辺りを明るく染める。
 部屋を照らす灯火も、その輝きをいや増したかに思えた。が。そこに一筋の影を投げかけるかのように、小さな独白めいた呟きが、少女の官能からは程遠い薄紅をした柔らかい唇から漏れ聞こえた。
 それは、耳を欹てていなければ聞こえないかもしれなかったのに、運命の歩み寄る重い響きを持っていた。
「……そう。来るべき日に、この舞台に上ることが許されるのは……。」
 知らず、もう一人の乙女が、その口にされなかった続きの言葉を紡ぐ。
「……定められた役を演じ続けられる者だけ。」
 そして、多分、二人は同時に思ったのではなかったか。
 無言で、どちらからともなく交わされた視線に、共感と理解と、幾許かの寂しさが過ぎったようだった。
(……或いは、哀れな道化者、か)


artemis (05.09.06)
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