JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





十二周目二番



 前方の街路、五区画にわたり無人。前方五区画目右の路地に修道騎士数名、接近中。前方三区画目左の路地を修道騎士数名が通過。後方の街路四区画にわたり無人、後方三区画目左の街路――ついさきほど曲がってきた街路に修道騎士数名、直前に肉眼で確認したところによると四名、これらは近くの民家の不自然に開け放たれた扉――彼が開けておいた――付近で捜索体勢。後方二区画目右の街路に修道騎士数名、遠ざかる方向に移動中。
 風が聖都の街路を流れる。空の下ならば、風はいつでもどこにでも吹くことができる。風は複雑に入り組んだ無人の――修道騎士により封鎖され一般人が退去したこの地区の――街路を縦横に駆け抜け、そこを歩く修道騎士たちの同行を彼のもとに報せる。わずかな匂い、足音、鎧のたてる音、剣の鞘がその鎧にあたってたてる音、そうした、風に乗ったごくかすかな情報から、クレイトンの感覚は周辺の街路を動きまわり彼らを探しまわる修道騎士たちの動向を逐一把握することを可能にする。
 「風」と呼ばれる彼にとって、閉ざされた建物の奥まった部屋というのは、地の利という意味では最悪の場所だった。投降すれば命は取らない、という言葉は、まさに渡りに船。武器を捨て、厳重に束縛された状態であっても風の吹く空の下に出てしまいさえすれば、「風のクレイトン」にとってそのていどの逆境は逆境のうちに入らない。ごくわずかに呪文を吐き出し体をひねるだけで生まれる風の刃は太く強靭な捕縄を瞬時に断ち切り、解放された手刀と足刀の生み出すかまいたちは、罪人を捕縛したと信じ込んだ修道騎士のわずかな備えの間隙を突いて、その鎧のあわせめから肉体を切り裂く。むろん、それで全員を薙ぎ倒すというわけには、大掛かりな魔術の後で消耗した現在の彼では、ゆかなかったが、修道騎士の剣を奪い、その大掛かりな魔術で盗み出した娘を連れて囲みを突破し、風に乗って路地に身を隠すことは容易なことだ。突破時に体のそこかしこに手傷は受けたが、どれもかすり傷のようなもので、致命傷どころか、当面の活動に問題になるような傷もない。
 あとは簡単だ。昼日中なら知らず、月さえない闇夜だ。風の流れで街路のつながりも追っ手の同行も逐一把握できるクレイトンと、人数に勝るとはいえ松明の明かり――煙も熱も出さない魔法の炎だが――だけが頼りの修道騎士団では勝負にならない。
 もっとも、区画の封鎖は厳重なようで、どうせどう逃げ回ってもその封鎖を突破することまではできまいという楽観が修道騎士の側にはあるのだろうが。
 その最終段階の囲みを突破する手段もいくつか考えてはあるが、とりあえず今はそこまで――囲みの外周まで到達することが先決だ。風に乗って運ばれた情報を、少し集中してより詳細に読み、不足分を補うべく、こちらから探りの風を送る。そんなことを、少し進むごとに繰り返して進路を決め、囲みの外周部を目指す。
 左手は常に連れ出した娘の手を引いている。無抵抗で、手を引けば従順についてくる――手を引くクレイトンが走れば走ってついてくる。体の自由を失っているというわけではない。が、自発的に何らかの行動をとることもない、人形のようなありさまの少女。おそらくは《大地の瞳》と例の魔術の効果なのだろう。自分で編み出したわけではない術式の魔術ゆえに、それがどう作用して今の状態を生み出しているのかはわからないが。
(自分ひとりなら囲みを突破するのは容易だ……この娘を連れて突破するとして……)
 手を引いて移動する間も休むことなく考えをめぐらせる。意識の一部分は風が運んでくる追っ手の情報を分析し、予想外の動きがあればすぐに立ち止まって進路を変更する。
 通りがかった街路に施錠されていない窓なり扉なりがあれば、立ち止まってそれらを開け放しておくなりの仕掛けを施す。こうしておけば、そこを離れた後で風を送って音を立ててそれらを閉めるなどの手段で追っ手の注意をひきつけることができる。
 角を曲がる。裏路地、というべきであろう狭い路地だ。周辺の住民が一時的に置いたらしい生活用品のような物が多少乱雑に存在している路地。前方、三区画にわたって無人。その路地に踏み込む。
 風ががらくたの間を抜けて細く複雑な音をたてる。鼠より大きな生き物の気配なし。修道騎士の足音なし。別の細い路地と交差した場所を駆け抜ける。前方をさらに検索。四区画にわたって無人。
 星明りの中、その無人のはずの路地に、物陰からゆらりとあらわれた人影に、クレイトンは愕然として立ちすくんだ。
 前方に男性一名。装備は余裕のある大きさの服の上に革鎧、その上に外套。腰に剣。おそらくは服の内側にも複数の小型の刃物を隠し持っている――。
「貴様……」
 細くきしるような声が唇を割った。もし修道騎士団の中に彼と同等に風を感じられる者がいたら、この瞬間に居場所が割れるだろう。だが、そんなものがいるとは思えなかったし、第一、そんなものを気にしている場合でもなさそうだ。
 腰に吊った修道騎士の剣に手をかける。
 どちらかといえば大柄な男だ。この街路に乱雑にがらくたが置かれているとはいえ、それらの間に隠れられる体格とは、今こうして対峙してみれば、まったく思えない。この男は、そうでありながらこの路地に身を隠して彼を待ち受けていた。視覚どころか、その風の探りからさえも隠れおおせて。
「何者だ」
「そりゃこっちの台詞だと思うぜ」
 ほとんど悠然とさえいえるぐらいの口調で、男は応じた。
「いや、それだけじゃねェ。あンたからは聞き出さなきゃならないことだらけだ。だがとりあえずまずは……シエーアを離してもらおうか」
「ほう、シエーアというのか、この娘は」
 風が動揺の気配を運んだ。間、髪を入れずにクレイトンが上体をひねる。その動きで浮き上がった外套の縁が風を切り、切られた風が刃となって襲いかかる。手刀や剣の振りで放つそれには威力の面でまるで及ばない風の刃だ。重装の修道騎士なら鎧の表面にかすり傷もつかないだろうが、軽装の男になら牽制ていどの効果はあるはず――。
 男は無造作に横に一歩踏み出し、かるく身を屈めただけでその刃をかわした。かわすと同時に剣を抜き放ち、数歩の距離を一気に踏み込んでそれを突き出してくる。充分に素早い、充分に訓練を積んだ動き。体をひねると同時に抜き放った剣で、それを受ける。鋭い突きを払った剣が力余って泳ぐ。鋭さに比して重さのない突き。体重を乗せず、その重さよりも狙いの精確さと剣速の鋭さで勝負する種類の剣技。
(盗賊か!)
 装備からしてそう考えて対応するのがむしろ自然だったはずだ。追っ手が修道騎士団であることから、その一員が盗賊などであるはずはないという先入観があった。ということは、この男は追っ手とは無関係なのか?
 横殴りに男の二の太刀が奔る。それを今度は手首のひねりで流し、素早く刃を切り返して反撃を送る。かわされることは計算の上だ。身をかわすその動きを読んで、娘――シエーアと呼ばれた娘の手を離して自由になった左手の手刀で風の刃を放つ。剣をかわす男の身のこなしは計算どおり。しかし、その上で風の刃をもかわしてみせたその動きは想像を超えた。
(できる……ッ!)
 男の三撃目は、ふたたび鋭い踏み込みに乗った突き。風の刃をかわした際に開いた間合いが一瞬にして詰まる。その突きを、今度は全身を振り回すような勢いで払う。男の手から剣が飛んだ。剣を手放していなければ、その回転から生み出された風の刃をかわすことはできなかっただろう。受け返す重い一刀に逆らわず、迷わず剣を手放し、同時に放たれた風の刃をかわして跳びすさった男にクレイトンは内心舌を巻いた。
 服の内側に隠し持った武器がまだあるはず。それをどう使ってくるか、見極めるべく、星明りの下に身を屈めた男を視認したクレイトンは、その目が泳ぐのを――対峙した彼以外のものに向けられるのを見た。
「シエーア、よせ!」
 痛恨――いや、不可抗力というべきか。この男は油断ならない使い手だ。対処するのに意識を奪われ、手を離した娘を、一瞬、我知らず意識の外に置いていた――。
 風が運ぶ少女の現状は――棒立ち。変化なし。
「貴様!」
 男が最初にその少女の名を呼んだことは、それでは、このための――少女の名を呼んで彼の注意をそらすための布石だったのか。あのとき見せたあるかなきかの動揺の気配は、あれすらも演技だったというのか。
 少女の様子を確認するのに費やした半瞬の間に、男の姿が視界から消える。両手を振るう。風の刃が、死角になった左右の空間を切り裂く。右の刃に手応え。反射的にそちらに視線を向ける。視覚がそれ――二つに裂かれた中身のない外套――をとらえる前に、その軽すぎる手応えにクレイトンの意識は気づいていたが、二度にわたり虚を突かれた感覚は、男のその次の動きまでを追い切ることはできなかった。
 右足に鋭い痛みが走った。
 衝撃と、一気に右足から力が抜けたにもかかわらず、とっさに左足に重心をうつして体勢が崩れることを防ぎ、あまつさえ少女のいる方――彼の足の腱を切り裂いて駆け抜けた男のほうへと向き直ったのは流石というべきか。だが、少女を抱き抱えてさらに数歩を駆け抜けた男に追いすがることまでは、片足がまともに動かない状態では、とっさにはできない相談だ。
 風の刃を放つか? だが、男だけを狙い定めることができるだろうか。できたとして、少女に当てないように放ったそれを男がかわしそこねることが期待できるだろうか。
「シエーア、無事――か……が……」
 少女の目を覗き込んで囁くように云った男の体が硬直した。言葉が意味をなさずにその喉で止まり、苦しげな呻きを吐き出す。
 棒立ちの、人形のような無表情となった少女の瞳を覗き込んだまま、男は心臓を氷の槍で貫かれたみたいな苦痛に満ちた硬直の立像と化している――。
 思考よりも鍛え抜かれた戦士の本能が先に立った。
 振り上げた右手を腕だけの力で振り下ろす。下半身の動きがまるで加わっていない不様な風の刃だが、剣の重さと鋭さを乗せて、動かない的を切り裂くだけならばこれで足りるはず――。
「死ね!」
 風の刃が走った。
 音を立てて、放置されていたがらくたが砕けた。
 標的は――無傷。
 手から落ちた剣がたてる音を、どこか遠くの世界の音のように聞く。
 右手首、肘、上腕部に突き刺さって必殺の一撃を狂わせたものを、愕然と見下ろす。何の変哲もないクロスボウのボルト。
 それが、クレイトンが見た最後のものだった。
 風を切って飛来した重く鋭い衝撃が側頭部と耳と首筋に突き刺さり、その意識を二度と晴れることのない漆黒の霧の中に沈めていった。


DRR (05.09.27)
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