JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





三周目一番



「……クオン、あなたはどう?」
「確かに聞こえるな。しかし……」
 なんとなく違和感を感じて口ごもる。確かに何かが聞こえる。だが、何なのだろう、この違和感は。
「あーまぁ耳が腐ってないことはわかったわ。で、あなたには何に聞こえる?」
「……子供の泣き声か獣の鳴き声だろ?」
「……もしかして冗談のつもり?」
 一段低くなった声に、慌てて振り返る。呆れているのか、それともいらついているのか、あまり友好的とはいえない光をたたえたエルの眼と目が合って、クオンはかるく肩をすくめてみせた。
「いや、何か意味のあることを喋ってるようには思えないなぁというだけのことだけど……」
「だけど、何よ?」
「何だろう」
「何だろうって、あなたねぇ!」
 ちょっと語気が強まっただけなのに、その赤い髪が炎のように燃え上がったような錯覚を覚えて、思わず半歩あとずさって、その瞬間、クオンはさっきから感じている違和感の正体に気づいた。
「そうか……」
「そうか、って何ひとりで納得してんのよ!」
「悪い、エル、ちょっと黙ってくれ」
「あら」
 ちょっとびっくりしたような顔をして女魔術師が言葉を切る。
「そういえば初めて名前を呼ばれたような気がするわねぇ」
「……そんなことに感心するのか……」
 と、口に出していったら今度こそその手にした杖で殴られそうな予感がして、危ういところで、クオンは言葉を飲み込んだ。
 そっと視線を外して残り二人の女性陣に視線を移す。どちらも、かれが何をいいだすのか興味津々といった体で――例によってティオレの視線は無表情だがこっちを真直ぐに見据えている――視線を向けてきているが、ふたりはついさっきまで、ある方角を注視していたはずだ。ジェッターが踏み込んでいった木立の方角を。そして、声が聞こえる、といったのだった。
 そう、声が聞こえる。微かに――いや、もはやそれは微かな声というレベルを超えてはっきりと聞こえてくる。確かに声がする。獣の鳴き声か、子供の泣き声か、それは相変わらず不分明なのだが……だが――。
「おい、この声が聞こえるのって、本当にこっちからか?」
「……え……?」
 戸惑ったような声を上げたのはシエーアだった。
 不安そうに眉をひそめてくるくると左右に視線を走らせる。
「そ、そういわれても……っていうか、そんなこといわれたら、なんか別の方向から聞こえてるような気がしてきちゃうよ……」
「そ、そうか……」
「でも、確かに……さっきは明らかにこっちから聞こえたと思ったんだけど……」
 声を落としてエルがつぶやく。
「……でも、つけられてる、って思ったのが先だったから、無意識に同じ方向からだと思い込んじゃったのかしら……」
「ううむ……」
 もともと、音を頼りに行動するなどということは、真っ暗闇で襲われてやむなく、というのでもなければなかなかあるものではない。ある意味で今の状況はそれに近いともいえるのだが、自分でいっておきながら、クオンはそう思うとますますその声がどちらから聞こえてくるのかわからないような、そんな感覚に陥っていた。
 どうやら、連れの三人の女性もそれは同じことのようだ。なんだ、女ばっか連れて歩いてるのか、オレは。男の連れだったジェッターは索敵に出ていって、まだ帰って来る気配もない。といって、そう簡単に気配が感じられるようではシーフとしては失格だろうが。そうか、シーフなら音から方角を割り出すとか、そういうのにもオレや残された女性陣よりは慣れてるだろう。ということは、そのジェッターが迷わずこっちに向かったってことは、やはりこの声はこちらから聞こえてくるのか……?
 そんなことを考えながら、もう一度エルに向き直ったクオンの視界の隅を、何かがかすめた。同時に、背筋を冷たいものが走った。目にしたものが何かを考える前に、いくどもくぐった修羅場で培われた本能が反射的にその体を動かす。
「な――!」
 なにごと!? とエルがいいおわる前に、クオンは一挙動で抜き放った剣を突き出していた。
「エル! あぶない!」
 鋭く叫ぶシエーアの声。
 赤い髪が数本、風に舞った。手応えなし。
 視界の隅で、シエーアの右手が剣にかかるのを認めつつ、クオンは思い切り踏み込んで二の太刀を振るった。
 こんどは、剣先が何かをかすめたのがわかった。その瞬間、さっきまで聞こえていた声が止んだ。かわりに、ばさりと何か――何物かが木立の下生えを揺らす音が上がった。
 弦が風を切る音がそれに続いた。いつの間にか両手に例のクロスボウを構えたティオレが一連射を放ったのだと、振り向きもせずに理解する。すとととん、と、立て続けにボルトが突き刺さる乾いた音がした。生き物に当たった音ではない。正確に着地点を狙った一連射を間一髪でかわして、その影――振り向いたクオンの視界をかすめた、エルの背に音もなく忍び寄っていた影は再度跳躍していた。
 予想外に大きな影。この体格で気配を殺して背中から忍び寄られたとは、にわかには信じ難いぐらいの。
「こいつ!!」
 一気に踏み込んで叩き斬ろうとして、斜め前方から何かにぶつかられて――いや、斜め前方にあった何かにぶつかって、クオンは大きく体勢を崩した。
「きゃ……」
「――っく……」
 倒れ込まずに済んだのは、自分のほうが体が大きかったからだろう。ぶつかられた方は、みごとに尻もちをついていた。
「エ、エル……!」
「な、何なの? 何なの!?」
 どうやら彼女にはいまだに何が起こったかわかっていないらしい。それはそうだろう。振り向いてたまたま視界に入らなければクオンにだって感知できなかった気配だ。魔法の力がどの程度であるにせよ、魔術師が気づかなかったのは無理もない。聖職者、という言葉の響きからはちょっと想像がつかないくらい実戦慣れしているらしいティオレの反応も、どうやらクオンより遅れたようだ。
(いや、もうひとりの魔術師の反応は予想外に素早――!?)
 そういえば、また、何かが下生えを揺らす音がした――。
(しまった……ッ!)
 エルにぶつかって一瞬気がそれた自分を呪いながら視線を戻したクオンの視界に、ちょうど木立の中に踏み込んでゆくシエーアの背中が見えた。
「ば、馬鹿! 戻れシエーア!」
「シ、シエーア、どこへ行くの!?」
「おい!」
 跳ね起きたエルがその後を追って走り出す。
「待ておい!」
(何をやってるんだ、こいつらは!)
 魔術師が先頭に立って突っ込むなど――。
(ひとりが裏切り、ひとりが死ぬ)
 ずっと頭にひっかかっているその言葉がまた、脳裏に浮かんだ。
(冗談じゃねぇ。このままじゃ誰かが裏切る前に死体がふたつになっちまうぞ!)
「クオン!」
 鋭いティオレの声。
「追うぞ!」
 背後に軽い足音を聞きながら、クオンは剣を収める間も惜しんで走り出した。

(そんなバカなことが……!)
 目の前を、また、さっきの影が大きく跳躍する。たとえるならば、巨大なバッタのような跳躍だ。草むらから草むらへ、木立の影を縫うように跳び、激しく草を揺らす音をたてて着地する。その姿は今ははっきりとはわからないが、クオンが突然放った殺気に驚いて振り返ったシエーアの眼に映ったそれは間違いなく――。
「シエーア、何事なの!?」
 すぐ背後――たぶん、彼女が追っている影と彼女との距離と同じくらい離れた場所から声が聞こえた。エルの声。さらに遠くから、何かわめいているクオンの声が聞こえるような気もしたが、今はそれどころではない。
 目をはなせば、あの影――あいつはきっとすぐに行方をくらましてしまう――!
「待て――待ってよ!」
 声を張り上げたのと、足元がぬけるのは、ほとんど同時だった。
「!」
 悲鳴は声にならなかった。叫んで息を吐き出した直後だったから。
(しまった――!)
 慌てて、もう一方の足で堅い地面を蹴ろうとして、その足もまた空を蹴る。
 視界を闇が覆った。浮遊感。
 息を飲み、そして、反射的に――間に合うことを祈りながら――シエーアは短い呪文を叫んだ。

「きゃああ!!」
 悲鳴が聞こえた。
 緑の木立の中で、踊る松明の炎みたいに目立っていた女魔術師の姿が、かき消すように見えなくなる。
「エル!?」
 十数歩の距離を全力疾走し、そして、クオンはたたらを踏んだ。
 慌てて踏みとどまったその足元から、ぱらぱらと音をたてて土砂が落下してゆく。
「お、おい……」
 一歩後ずさり、クオンは愕然として、いきなり目の前に出現した大穴を覗き込んだ。
 開口部は、おそらくかれが横たわっても橋になれないぐらいの大きさ。単純な落とし穴――穴の上に脆弱な蓋をかぶせ、その上に少量の土と草を乗せて偽装しただけの単純な落とし穴であることは一目瞭然だった。しかし、大きさと深さは尋常ではなさそうだ。
 すぐ隣で、追いついたティオレが息を飲むのが聞こえた。
「……これは……」
「シエーア! 無事か!? シエーア!」
 明らかに、エルはここに飲まれたのだろう。シエーアは難を逃れて追跡を続けているということが有り得るだろうか?
 まず有り得ない、と思いながら、一縷の望みを託してクオンは叫んだ。
 耳を澄ましても返事は聞こえなかった。草を踏み分けて走る少女の足音も。
 追っていたはずの影が立てる音も。
「……っく!」
 すぐそばの木の幹を殴りつけて息を吐き出す。
「どうしたっていうんだ! 何なんだよ、シエーアのやつ! いきなり走り出して! いったい何考えてんだ!」
「クオン!」
 ティオレの声は低いが鋭い。冷水を浴びせられたように、混乱と激情が吹き飛ぶ。
 まっすぐにこちらを見ている黒い瞳は相変わらず鏡のように無表情だが、いつのも無表情とは何かが違うような気がした。
「あの影、見なかったのですか?」
「……何だって?」
 ティオレが素早く左右に視線を走らせる。両手のクロスボウはすでに再装填が済んでいるようだった。それで駆け出すのが遅れたのだろう。
「……いえ、私もはっきりと見たわけではないのですが……でも、もしそうだとしたら、シエーアの取り乱しようも説明できます」
「……」
 黒い瞳とまっすぐに見つめあう。その瞳に映った自分の表情を見て、いったい何がいつもの彼女の無表情と違っているのか、クオンは悟った。
 凍りついたような自分の顔。
 それと同じように、彼女の顔も凍りついているのだ。いつもの無表情ではない。想像もしなかった出来事に凍りついた無表情。
「……一瞬だから、な。自信はない、というか、見間違いだと思ったんだが……」
「私もそう思いました。クオンも見たのですね?」
「ティオレも見たんだな」
 こくり、と、黒衣の聖職者がうなずく。なんだか途方もなく、その姿が不吉なように、クオンには思えた。
 不吉な思考が、口に出してしまうと現実として確定してしまうような気がして、口ごもりながら、しかし、ゆっくりと、誤解の余地がないように、はっきりと、その名をいってみる。
「……ジェッターだった?」
「ジェッターでした」
 語尾がかすかに震えたように思ったのは気のせいだろうか。この無表情な娘も、仲間だと思っていたシーフが豹変したことに動揺している――それとも、かれがそう思いたいだけなのか。
(……ひとりが裏切った……のか……まさか?)
 ジェッターが踏み込んで行ったのとは逆方向の木立だ。こちらの目が届かない距離まで離れてから、こちらがわに回りこんでエルを背後から襲うことが、はたしてかれに可能だっただろうか。
(いや――)
「見間違いか、それともそうでないのかはわからないけど、シエーアとエルがここに落ちたんだとしたら、そっちを救出するのが先決か」
「――それは……どうでしょうか」
「どうでしょう、って、魔術師二人を地下に放り出すわけにゃ行かないだろ!?」
「でも、どうやって降りるんですか?」
「……」
 いわれて、クオンは言葉に詰まった。
「ロープがあるにはあるけど……」
 穴は相当に深いようだ。今回の教会探索のために持ってきた長くて丈夫なロープはジェッターが持っている。クオンも一応、持っていないではないが、底が見えないこの穴に降りるのに充分な長さかどうかは心許ない。
「魔術師ならば、安全に降下する呪文を持っているかもしれません」
「ああ、大半の魔術師なら知ってるみたいだけど……無事に着地したとしても、そこで魔術師二人だけ、ってのはまずいだろ」
「私たちだけでは、まずその無事に着地できるかどうかが大問題ですが……」
「そりゃあ、そうだけど……いやしかし……」
 だからといってふたりを見捨てることもできない、と思うのが人情ではないか。
 見つめなおしたティオレの無表情は、限りなく冷酷なように、今はクオンには思えた。
 冷酷――いや、冷酷なのは、自分が導き出そうとしている選択のほうなのだろうか。彼女の瞳に映った自分の姿に冷酷さを見ているだけではないのか……。
(だとしたってオレに決めさせようってんなら、それはそれで冷酷だよなぁ……)
 ふいに、ティオレがまばたきをした。瞳に映った自分の姿が一瞬消えて、クオンは我に返った――我に返って、自分が今まで平常心ではなかったということに気づく。
 ティオレの表情も一変していた。凍りついた無表情でもない。かれの決断を待つ無表情でもない。これはかぎりなく冷静に戦場を把握する戦士の無表情だ。
「……ま、落とし穴まで御案内、で納得するほど甘い相手じゃあない、ってことか」
「の、ようですね……」
 姿はない。聞こえてくる音もかすかだ。だが、明らかに、下生えを踏みしめる音が近づいてきていた。四方八方から。
 そして、腐臭。
「……ま、これだけはっきり気配が感じられる相手ならやりやすい、かぁ?」
「本命は別に潜んでいるのかも知れませんけれど」
「いやなこと云うねぇ……」
 無言で、ティオレが背を向ける。自然に、その背に背を合わせて、ゆっくりと剣を構える。
「《生ける死者》ってヤツは、昼日中でも平気で活動するのかい?」
「そのように命じられているなら」
「……なるほど、ね」
 背負った盾を使うかどうか、一瞬だけ迷う。
 ティオレならば、おそらく盾でかばう必要はないだろう。むしろ、確実に相手を潰すことのほうが重要だ。
「……ま、この穴のおかげでこっち側の防御だけは考えなくてすむわけか」
「穴から這い出て来なければ」
「……穴の下から魔法で支援してくれないかなぁ」
「ふたりにその余裕があることを祈りましょう」
 目の前の下生えが揺れた。
 姿をあらわした、昨夜見たのと同様の――日の光の中で見るだけに不気味さが何倍かに増したようなゾンビに、クオンは渾身の一撃を叩きつけた。

「わりぃ! シエーア! 遅くなった!」
 ……乾いた風が駆け抜ける。
「……」
 偵察に時間をかけすぎ、結局何も――誰も見つけられなかった照れ隠しに、おどけてみせながら道へと飛び出したジェッターを迎えたのは、静寂だった。
「……あら?」
 誰もいない。
 場所を間違えたのだろうか? それにしても、街から教会まで、たいした距離もないというのに、道には人っこひとり見当たらない、ということは有り得ないのではないだろうか。
「えーと……」
 ぽりぽり、と頬をかく。
「もしかして、待ちくたびれて、オレッチを脅かそうとしてそのへんに隠れてるとか?」
 返事はない。気配もない。
「……まさか先に行っちまったなんてことは……」
 シエーアは、そんなことはしないはずだ、クオンやティオレはわからないが、シエーアに反対してくれれば、それを無視して先行するようなことは、たぶん、しないだろう……短い時間とはいえ、冒険行をともにした印象では。
 あの女魔術師は未知数――それにそうとう強引な性格ではあるようだが、黙ってかれをおいて行くほどだろうか?
「……オレッチが離れてる間に何かあった……ってのか?」
「ジェッター、おっそーい!」
 聞き慣れた声が、独白にかぶさった。ただし、ずいぶんと遠くから。
 振り向くと、教会の入り口で手を振っている少女の姿が見えた。剣士は、教会の柵にもたれて腕組みしている。ティオレとエルは、どうやら昼なお暗い教会の入り口を覗き込んでいるようだ。
「なんだよ、脅かすなって! 置いてかれたかと思っちまったじゃねェか!」
 声を張り上げて、歩き出そうとしたジェッターの右足が、わずかに滑った。
「?」
 何か、黒っぽいもの――量は少ないが、恐らくは液体だと思われる何かを踏みつけてしまったらしい。
(なんだ、こりゃ?)
 かすかに腐臭のような臭い。
(血……か? いや、腐った、血……?)
「もう! 何やってんのさ! ほんとに置いてっちゃうよ!?」
「あ、ああ! 悪ィ! すぐ行く!」
 叫び返し、なんとなくひっかかるものを感じながら、ジェッターは走りはじめた。


Written by DRR (04.01.27)
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