JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





五周目二番



 ゆっくりと剣を抜く。真正面、十数歩の距離で、その少年もゆっくりと剣を抜く。いや、実際には、こちらも、少年も、手にしているのは練習用の木剣だ。鞘がついているはずもなく、その抜く動作も手合わせ前の儀礼的なものに過ぎない。が、少年のその抜剣の動作は、真剣を握った経験も決して少なくないことを感じさせるものだ。
 抜いた剣を構える。久しくなかったことだ。もう旅暮らしも長い。人間なり、人間以外なりに襲われて剣を抜いたことも数え切れないほどある。しかし、こうして一対一の立会いで、お互いに向かい合って抜剣し、お互いに構え合ったことは、考えてみれば、ほとんどなかった。一方的に襲いかかられれば抜剣したそのままの勢いで相手の一撃を防ぎ、あるいはかわしざまの一撃を叩きつけることになる。実際にぶつかりあうまでに多少の時間がある場合でも、相手が人間でなければ――たとえばつい先日の《生ける死者》との戦いなどでは――今のような構え方はしない。
 今のような構え方――剣士と剣士の試合、あるいは果し合い、決闘といった場面のための構え方を、自分が自然に取れるということを、クオンは不思議に思ったことはなかった。観戦している方がそうではなかったらしいということに気づき、あらためて、それがほんとうに久しぶりのことであることを再認識する。――軽い感嘆の声は、かれと少年――ナーリ王子の手合わせを見守る廷臣たちの間から上がったのだった。
 少年の表情に変化はない。王子にとっては、相手がそうして構えることは当然のことなのだろう。クオンの、抜剣から構えに至る動作はむろん、この地方の流儀そのままのものではないが、ある意味で宮廷の剣術の儀礼的な、実戦だけを考えるならば必要のない動きも含んだものだ。それはある種、「正統な」剣術の修練を積んだことの証である。廷臣たちの驚きはおそらく、冒険者ふぜいがそうした動作を自然にこなすことに対するものだろう。
 気にするほどのものでもないが、無視することもできない程度の軽い不快感がクオンの胸中に芽生えた。これも、久しく感じることのなかった感覚だ。
 王子のほうは、その廷臣たちの反応など気づいたふうもない。澄んだ瞳がまっすぐに見つめてくる。気負いも驕りもない眼差し。
 鋭い気合の声が上がった。声変わり前であることを隠しようもない声。しかし、鋭い踏み込みとともに繰り出された突きは、クオンの目を見張らせるに足るものだった。
 軽く体をさばいて、立てた剣で受け、反射的に横なぎの一振りを返す。返しかけたところで、一瞬、戸惑いのようなものが剣をにぶらせていることに気づく。半分は、相手が王子という身分であるがゆえのためらい。練習用の木剣では、たとえなにか「間違い」があったとしても、致命的な事態にはなるまい。居並ぶ見学者の中には、廷臣たちのみならず宮廷に伺候する治療師もいる。だが、クオンらがこうして宮廷に呼ばれるような事態となった背景には、この王子に対する暗殺のたくらみがあるのではないかという懸念が存在しているのだ。それを思うと、その王子に対して木剣とはいえ剣を振るう手が多少の迷いを帯びるのも止むを得ないところだろう。残り半分は、相手の体格がずいぶんと小柄なことに対する戸惑いだ。むろん、向かい合った段階でわかりきっていたことだが、実際に剣を交えるとあらためてそう思う。このように、型をさらうような剣技を操る場合にはなおさらだ。
 型どおりに返した一振りを、かるく身をかがめてかわしざま、王子が二の太刀を振るう。これも横なぎに払われた剣を、型通りに剣を立てて受け止める。受け止めざま、突き出した剣を、今度は王子が体を横にさばいて、立てた剣で受ける。
 また、見学者の列から感嘆の声が上がった。
 王子の表情に変化はない。いや、口元がわずかにほころんでいる。雄敵にまみえた喜びだろうか。考えている暇はない。打ちかかる王子の太刀さばきがその隙を与えない。受け止め、打ち返す。すぐに、クオンは遠慮を捨てた。邪念を持って戦える相手ではない。なるほど、これならば自分の剣の腕に自身を持つのもわかる。
 いくど木剣を打ち合わせたことか。硬く乾いた音が、素朴な、打楽器のみが織り成す音楽のごとくにその城館の一室を満たし、ふたりの剣士の、持てる技量の限りをつくした剣舞が居並ぶ人々の目を奪う、そんな時間を――。
「それまで!」
 ――鋭い声が、破った。
 申し合わせたように同時に踏み込んでいたふたりの足が止まる。木剣を引き、足を引き、数歩下がって、互いに剣を立てる礼を送り、納剣の動作、一礼。
 ガトー公が、玉座に座すヴィータ王のほうへと向き直る。それへ、王がかるくうなずいてみせる。ガトー公が腰を折って一礼した。
 そうした一幕に、今もってある種の郷愁に似た感覚を覚える。ある種の苦さを伴った懐かしさ。
「クオン・ゼアーム、見事であった」
 その、ガトー公の声に向き直り、踵を合わせ、クオンは一礼した。

「いっやー、凄かったねぇ、クオン」
「って、お前、今さらだな。クオンが剣振るの見るの、初めてじゃないだろうが」
「そりゃそうだけどさ、あんな宮廷風の剣技まで身につけてるとは思わなかったよ」
 勝手なことを云っているジェッターとシエーアにに苦笑を返して、クオンは視線を外に向けた。
 昼下がりの陽光が、あまり広くはないが手入れの行き届いた城の中庭を照らしている。クオンたちのいる回廊からほぼ一階下の中庭には今は人影もない。若干汗ばむのはさきほどの王子との手合わせの余韻か、それともこの日差しのせいか。たまに吹きぬけてゆく風が心地好い。
「まぁしかし、王子と手合わせさせられるとは思わなかったよ」
「ほんとほんと」
 討伐隊の出撃の前日である。武器の事前支給を希望する者は、その夜を城内で過ごすことを条件にそれを許可された。ガトー公によれば、支給された武器に馴染む時間が欲しいという声が討伐志願者から上がったためらしい。城内で一夜を明かせというのは、支給の武器を持ち逃げするような不届き者が現れないようにとの予防措置であろう。もっとも、クオンたちに関する限りは、べつに事前支給を希望してやってきたわけではない。ガトー公が「希望者ということにして前日に城に来て欲しい」と打診してきたからそれに従ったまでのことである。
 何事かと警戒しながらやってきたクオンに命じられたのは、ナーリ王子と剣の手合わせをすることだった。
「っと……足音だ。ガトー公のお見えかな」
 とくに意識を集中している様子もなかったジェッターが、ふいに云った。このあたりが、シーフのシーフたる所以だろう、と、クオンは思う。かれには聞こえない足音を聞き分ける耳のよさ自体もそうだが、くつろいだりふざけたりしているように見えても――というよりたぶん本当にそうしているのだが――周囲の環境の変化には敏感に気づく。
 かれらに、この回廊で待つようにと告げたのはガトー公だ。突然の呼び出しと不可解な手合わせの指令について、ようやく説明があるのだろう。
「……って、あれ? 足音はふたつ? 誰か連れてきてるのか?」
「誰かって、そりゃまぁ、公爵様ともなりゃお伴の一人や二人や三人や四人……」
 もたれかかっていた回廊の柱から身を起こして、角を曲がってやってきた人物を見て、そしてクオンは仰天した。
「って、ガトー公――ナーリ王子!?」
「うむ。殿下がクオン、おぬしを気に入ったと仰せでな」
 恬然と、公爵が云った。

「それで、クオン殿、私の剣技はどうであったか。忌憚ない意見を聞かせてもらいたい」
 ずいっ、と詰め寄られて、思わず、ずいっ、と上半身を引いてしまう。
 絵になる少年だ、と思う。剣を取って向かい合ったときの表情は一人前の剣客のそれだったが、こうして差し向かいで話していると、その端正な顔立ちに年齢相応の幼さが垣間見える。笑いでもすれば花が開いたかのように周囲の空気まで明るくなる。なるほど、「王子様」というわけだ、と思い、ふと隣を見ると、シエーアが今までに見たことのない、クオンの知る単語ではちょっと表現しがたい表情で、王子様を見つめていた。その向こうではジェッターがこれも何とも云い難い表情でそのシエーアを横目に眺めてたりもするのだが、さすがに王子様が目の前ではいつもの軽口もなりをひそめるようだ。
「感服仕りました、殿下」
 本心から、クオンは答えた。
「殿下の技量をもってすれば、まずたいがいの果し合い、決闘では、後れを取る気遣いはありますまい」
「世辞はよせ」
「いえ、世辞というわけでは……」
「クオン、そなたの技量は我が宮廷に伺候する騎士と比べても全く見劣りのするものではない。いや、むしろ、そなた以上の使い手を探すことのほうが難しかろう、と私は思うぞ」
「恐れ入ります」
 それはまぁ、そう間違った評価でもあるまい、とクオンは思う。もっとも、自分と「互角」程度の使い手ならばごろごろしているだろうし、そうした連中と、もし戦ったとすれば、勝負は時の運なり体調なりその他もろもろの条件なりでどちらにも転ぶだろう、という程度の、云ってみれば「どんぐりの背比べ」みたいな「手練の剣士」という集団の一員であるに過ぎないともいえるのだが。
 その「手練の剣士」集団と互角という王子の腕前は、しかしその年齢も考慮に入れれば傑出していると云えるものだ。
「先ほど御手合わせの機会を頂きました限りにおいては、殿下の剣技に何の不安もなきことは、世辞でも追従でもありません。ですが――」
 また口を挟みかけた王子が何か云う前に、クオンは言葉を継いだ。
「この度の任務、トロル討伐という観点から申し上げますと、若干の不安を禁じえぬ部分もございます」
「……うむ……というと?」
 どのように云ったものか。ガトー公は表情を変えずにふたりの話を聞いている。
「殿下の剣技は、たとえば宮廷での決闘や果し合いといった、礼を知る剣客同士が腕を競い雌雄を決する場においては、先ほども申し上げました通り、まず敗れる気遣いなどないものであるとオレ――私には思えます。しかし、それは相手が自分と同じ人間であれば、です。決闘や果し合いならばお互いの武装にさほどの差がつくことはありますまい。たとえば片方が裸同然の格好で、片方が全身を鎧で固めて戦うなどということはまず考えられませんし、たとえそれほどに条件に差があろうとも、殿下の技量ならば鎧の継ぎ目を突いて倒すことも難しくはないでしょう」
「……ふむ……?」
 後半の鎧云々という部分は蛇足だなぁ、と云っていて思う。というより、雲上人が相手で我ながらやたらと口調がくどくなっているように感じる。むしろ、王子様が裸で戦うような仮定が失礼に当たりはしないだろうか、などということも一瞬頭をかすめたりもするクオンだった。
「しかし、相手がトロルとなるとまた話は別です。それも一対一ではなく多数対多数の戦いです。人間相手ならば、たとえ致命傷には至らずとも幾度も斬りつければ打ち倒せましょうし、そうでなくても弱らせることはできましょう。しかし、殿下も御存知の通り、トロルにはとんでもない再生能力が備わっております。その肌も鎧ほどに硬いわけではないにせよ、鎧と違って継ぎ目があるわけではありません」
 云ってしまってから、決闘のルールも土地によってさまざまであることに思い至る。たとえば、一部の地方で一般的な、片方が血を流せばそれで決着、とするような決闘であれば、そもそも幾度も斬りつけるという仮定自体が無意味になってしまうなぁ、と思うのだが、さしあたりナーリ王子の真剣な眼差しに変化はない。
「となれば、不安と思えるのはまず、複数を同時に相手どらねばならなくなった場合の対処です。殿下もいずれ戦場に立たれる覚悟をお持ちでありましょうからには、その訓練もなさっておいででしょうが……」
 王子の表情が曇った。
「いや……そうした訓練はまだあまりこなしてはおらん。――正直なところ得意でもない……な……」
「それはしかし、トロルと人間ではもともとの生き物としての頑強さを比較しようもございません。できる限り一対一、あるいは、可能ならばむしろ複数で一体に攻撃を集中できるように立ち回るのが、人間側にとっては肝要でもありますし、討伐隊の有志たちにも重々、云い聞かせてございますぞ」
 ガトー公の言葉に、視界の端で、シエーアとジェッターがそっと視線を交わすのがうつった。王子殿下がいなければ「……そんなこと云われたっけ?」とでも云いたいところだろう。要するに、これは、ナーリ王子のすぐ近くで戦うことになるであろうクオンたちに、そのように立ち回れ、と云いっておきたいのだろうか……。
「第二は、今申し上げたこととも通じますが、敵は騎士道を知らぬ怪物です。一見、最初は自分とは関係ない場所にいたと思えた敵が、油断をしていると横合いから襲い掛かってくる、などということも有り得ます」
 喋りながら、ガトー公に一言文句を云ってやりたくなるクオンだった。ここで「トロル」ではなく「敵」という言葉を使ったのは、言外に、人間の刺客が襲ってくる可能性をほのめかすためなのだが、そんなものが通じるわけもないよなぁ、とも思う。国内に王子の命を狙う者がいるということを当の王子には知らせずに、その危険を排除しようというのがガトー公の思惑らしいが、実際に現場に立つ身としては、王子が側背に関してあまりに無防備であらせられては荷が重過ぎるのだ。せめて、人間の刺客の奇襲までは予期せぬまでも、側背から敵が迫る可能性ぐらいは心に留めておいてもらいたいところである。
「第三は、トロルの頑健さ、そのものです」
「私の剣ではトロルの肉体には通じぬと申すか?」
「そうではありません。殿下の剣ならばひと突きでトロルの心臓を貫けましょう。ひと振りで頭を割ることも、頸の急所を断つこともできましょう」
 真剣な表情を変えずに王子は聞いている。事実、人であれ人でないものであれ、多くの敵と戦い、多くの命を奪って、クオンは生きてきた。シエーアやジェッターにしても、自分の手を血に汚した経験は幾度もあろう。フィアナは――フィアナについてはクオンにははかりかねる部分が多いのだが、そういった連中とトロル退治の話をしている分には、「真っ二つ」だろうが「落ちた首を自分で回収」だろうが、明日の天気の話をするみたいに平然と語れることを不思議だとは思わない。だが、目の前の少年は、本当に「少年」だ。王子は、誰かの心臓を貫いたことがあるだろうか。頭を割り、喉を裂き、その返り血に手を染めたことがあるのだろうか。いや、その答えが知りたいのではない。ただ、そんな陰惨な会話をして眉ひとつ動かさずにいられる少年の表情が、クオンの心に刺さる。自分がそのくらいの歳だったときにはどうだっただろうか――そこで思考を止める。今考えるべきことは、それではない。
「ですが、それではトロルは斃せません。それだけで斃せないばかりか、それを何度繰り返しても、平然と向かって来るでしょう。傷を負わせた、そのひと突き分、ひと振り分、こちらが消耗するばかりです。ですから、トロルを斃すには――」
「破壊するしかない」
 まっすぐな視線に曇りはない。
「そのくらいのことは私もわかっている。――クオン、そなたは私の腕力ではそれは無理だと思うのか?」
 無理だとは思わない、が……。
 どう答えれば失礼にあたらないだろうか、と、一瞬思案して言葉に詰まったクオンに、王子はまた、ずいっ身を乗り出した。
「忌憚のない意見を聞かせてくれ、クオン」
「何とも申し上げられません、殿下。私自身、トロルと実際に戦った経験があるわけではありませんし。殿下は王家の強力な魔法の剣をお使いになるのでしょう。その力も合わせれば、トロルを斬り斃すことは可能でありましょう。その可否を論じても今は仕方がありません。殿下の剣がトロルに通じないとなれば、我々は殿下が後退されるのをお守りするまでのことです。……そうですね、殿下の剣がトロルに通じないのであれば、失礼に思われるかもしれませんが、殿下にはお引取りいただくまでのことです」
 王子は真剣な表情を変えずにうなずいた。よい貴公子だ、と思う。誇りも実力もあるが、己の実力に驕ることも、目下の無遠慮な云い様にも不満を見せることはしない。そこで、ふとガトー公の表情もうかがってしまって、クオンはなんだか自分がやたらと小心者であるような錯覚に襲われた。いや、錯覚ではないのかもしれないが。
「殿下にとって、トロルの肉体を破壊することが、可能ではあるが容易ではなかった場合は、くれぐれも慎重にお戦いください。その一瞬、防御を捨てて斬りかからねば打ち倒せない、そういう瞬間に、無理をなさいませんよう。敵はその一撃をたとえ受けても致命傷にならねばわずかの時間でその傷を回復してしまう怪物です。その一瞬でこちらが一撃を受ければ、軽い傷でも次の立会いで不利を強いられることになりましょう」
「……なるほど、わかった、肝に銘じる」
「あとは、こう申してはなんですが、体格、でしょうか……」
 先ほどの手合わせをふとクオンは思い出した。
「トロルの上背は殿下の倍近くはありましょう。そのぶん敵は殿下に攻撃を当てにくくなりますが、殿下も頭や頸といった、トロルにとっても狙われたくないであろう部分を狙いにくくなるわけです――いえ、殿下は自分より大きい相手との立ち合いには慣れておいででしょうな。その立ち回りと、トロルを「破壊」する攻撃をいかに両立なさるか、ということでしょう」
 大体、云うべきことは云い終わった。失礼な発言でもなければよかったが、と思いつつ、クオンが微笑むと、王子も笑みを返した。
「ありがとう、クオン、」
 ああ、この少年を死なせたくはないな、と、クオンは思った。

 体の防御はほぼ普段の通り。下着の上に、細かい鎖を編んだ胴衣を着ける。その上にまとう服は、準騎士の装束だということだった。自分達がナーリ王子の直接的な護衛につくというのが政治的にどうなのだろう、という疑問は残っていたが、前日の一件もあって、宮廷内部では黙認されているらしい。黙認であれなんであれ、あまり宮廷内部のゴタゴタには深入りしたくはないという気持ちもあるのだが、王子直々に手渡されてしまったのでは、着ないわけにもいかない。その、紋章入りの上衣を着て、腰にいつものベルトを巻く。吊る剣は支給された魔法の剣。といっても、見た目は一般的な「片手半」と俗称される種類の長剣だ。片手でも両手でも扱えるようにデザインされているために、実際に剣を使う者達がいつからかそう俗称するようになったもので、クオンの普段持ち歩いている剣も分類としては同じものである。もっとも、剣じたいのつくりは自分の愛剣などのほうが上であるように、クオンには思える。魔法についても、それを一瞥したシエーアの感想は、「ふーん」というなかなかそっけないものだった。「たぶん、宮廷の魔術師が今回の任務のために急ごしらえででっちあげた、とかそんな類だね。魔力自体は強力だけど、長持ちするようには作られてないから、持ち逃げしたとしても長くは使えないんじゃないかなぁ?」と、シエーアは評した。褒めているのかけなしているのかはその口調からはまったく判断できなかったのだが。それよりも昨夜は、王子と話したときのクオンのやたらもったいぶった口調を揶揄するほうが、シエーアとジェッターにとっては楽しかったらしい。「なんかホントに騎士様みたいな喋り方だったじゃねぇかよクオン。もしかしてホントはどっかの貴族様だったりするのか?」なんてことまで(「様」の部分に妙に力を込めて)云われたものだ。もっとも、ふたりとも他人の過去を穿鑿したがるような悪癖は持っていないから、それ自体は軽い冗談だったのだが。
(過去、か……)
 頭を振って雑念を追いやる。
 冒険者などという生き方をしていれば、命のやりとりなど珍しくもない。実際には、今から立ち向かうトロルとの戦いよりもずっと危険だったであろう瞬間だって、当たり前に乗り越えて今日まで生きてきた。だが、こうして「いざ出陣」という空気を肌で感じていると、また違う緊張感というものがある。かれらにあてがわれた部屋は城の本館から少しはずれた場所にある騎士クラスの客人のための居館らしかったが、周囲にはなんとなく浮ついたような雰囲気が漂っている。かれらのほかの、志願した討伐隊のメンバーも近くに部屋を与えられていたようだし、城の兵士から今回の討伐隊に参加――直接戦力としてでなくても補給や後方支援などの形で――する者もいるのだろう。
 魔法の剣を抜く。明らかに、部屋に差し込む朝日を反射しているだけではない輝き。
 軽く素振りをする。昨夜も振ってみたが、剣のバランスや柄の握り具合などは合格点のようだった。切れ味のほうは、これは実際にトロルの肉体で試すしかないが。
 剣を納め、自分の剣も予備として背に背負う。戦場はこの城の窓からでも見える近さだから、マントは省略する。マントをまとうのには流れ矢を防ぐという目的もあるのだが、トロルはどうやらその種の飛び道具は使ってこないらしい。盾は、自分の持ち物ではなく、昨日のうちにガトー公に頼んで貸与してもらった大盾を持つ。盾というよりは「持ち運び可能な壁」とでも云ったほうが正確なのではないかと思われるほどの大盾だ。実際、壁として置いて戦うこともできるように、支えとなる脚状の装置までついている。かるく身をかがめればクオンの体格でも全身を覆い隠すことができる大きさで、少人数の戦いではむしろ重荷になるだろうが、今回のように戦線の幅が明らかに制限されるような戦場では自由に動き回って回避というわけにもいかないかもしれない。王子を守るという役目もあることだし、いざとなれば川に捨ててしまえ、という覚悟で、かれは今回この大盾を選んだのだった。通常の盾に関しては、どうせ使ったところで、トロルの怪力を何度も受け止めていては、盾越しの衝撃だけで打ち倒されかねない。持つだけ無駄だろう。
 それらの装備に加え、ベルトに予備の短剣を差し、冒険で使う小道具を納めたポーチを着けて、クオンは扉を開けた。
「よッ、遅かったじゃねぇか」
 にやりと笑ってジェッターが出迎える。その表情には、戦闘を間近に控えた緊張も何も感じられなかった。
「いつもと微妙に装備が違うから、な。シエーアは?」
「下で呪文の復習してるぜ」
「……頼もしいんだか不安なんだかわからんなぁ……」
 苦笑して、クオンは階段に向かった。

 城壁前の広場は、ちょっとしたお祭り騒ぎみたいな有様になっていた。
 実際の集合場所は橋のたもとの広場なのだが、クオンと仲間達のように、何人かで一度集まってから集合場所に向かう参加者も多い。そうした連中がいるのに加えて、討伐隊を見送る市民や野次馬も集まりつつあるらしい。
「うっわ……なんかすごい人だねぇ……」
「ここんトコ増え続けてたみたいだからな……」
 武装している上に準騎士の装束まで身につけたクオンら三人は、明らかにどこからどう見ても討伐隊の参加者だ。野次馬たちは率先して道を開けてくれるので、人ごみをかきわけて進む、というほどのことではなかったが、城の前から橋の手前の広場まで、通りの左右に見物客が列を成して見ているその視線が妙に恥ずかしい。
「……どうせなら凱旋のときにこの声援を受けたいもんだよな」
「凱旋できりゃそうなるさ」
 ぼそりとつぶやくジェッターに、苦笑してクオンが答える。
 橋の広場にはすでにそれなりの人数が集まっているようだ。
「一応、作戦、確認しとくぞ」
 少しだけ声をひそめる。ひそめすぎても喧騒にかき消されて聞こえなくなってしまうだろうが。
「基本的には三人一組で戦う。オレが正面に立って敵の攻勢を食い止める」
「オレッチはクオンの盾の後ろを定位置として、出たり入ったりしながら足を使ってトロルを霍乱して、クオンが一匹相手に戦える状況を作る、だよな」
「オレだけじゃなくて、余裕があったら周りの――とくに王子の周辺にも敵が殺到しないように立ち回ってくれ」
「任しとけって」
「で、クオンはトロルの攻撃をさばいて、隙あらば一撃必殺ッ!」
 大上段から、薪割りでもするみたいなポーズで、身振りまで交えてシエーアが続ける。
「そんで、首尾よく強烈な一発が当たったら、その傷が再生しないようにシエーアが炎の呪文」
「うー……普段使わない呪文だからなぁ……」
「おいおい、祖国の興廃はシエーアの呪文ひとつにかかってんだからよゥ、しっかりしてくれよ?」
「って、祖国じゃないし」
 ふたりの軽口がいつもより精彩を欠くように感じるのは、やはりふたりにもそれなりの緊張があるからなのだろうか、それとも、聞いているクオンが緊張しているせいなのだろうか。
「あと、ジェッターは、王子を狙う刺客にも注意しといてよ」
「わかってるって。ま、刺客が現れるかもしれない、ってのも、まだ決まったわけじゃないんだしな」
「現れなければそれが一番だ。で、最悪は、刺客じゃなくてトロルに王子様がやられちまうような事態だ。やれやれ、なんか今さらだけど、これ、やたらややこしい任務だよなぁ……」
「ホント、今さらだけどね」
「クオン!」
 前方から声が飛んだ。声変わり前の少年の声。
 さすがに手を振っているなどということはなかったが、王子がもう声の届く場所にいた。
 左右に、見覚えのある戦士が立っている。ガトー公の配下で、片方はたしか名をザリムといった。クオンと殴り合いを演じたこともある男だ。
 王子は、見るからに上質の品とわかる軽装の鎧に身を包んでいる。トロルの力任せの殴打には鎧はほとんど意味をなさない。身軽さを優先した装備だろう。帯びた剣はクオンと同じく二振り。どんな魔法の剣を持ち出してくるつもりなのかまでは聞いていない。
「クオン・ゼアーム、参りました」
 どの程度の礼をすべきか迷って、結局立ったままで腰を折ったクオンに、王子は強く頷くことで応えた。
 顔を上げて、左右を見渡す。
 刺客が現れるとしたら、トロルとの戦いが実際にはじまってからだろうということは予想できた。魔法や飛び道具で狙うのなら今でも不可能ではないが――。
「王子は矢弾を防ぐ魔法で守られてるよ。さすがにそのあたりはぬかりないみたい」
 シエーアが耳元で囁く。むろんそうでなくては困るし、この野次馬の押し掛けた状態で飛び道具で狙われる可能性まではクオンたちには対処しようもないことだ。
 周囲に集まりつつある討伐隊の面々は、雑多な出で立ちの者が大半だ。冒険者や、腕に覚えのある旅人が志願したものが大半なのだろう。そのほかに、城の兵士のお仕着せの装備に身を包んだ者達や、少数、騎士や準騎士らしい装束をまとった者もいる。
「……あの一角は?」
 ジェッターが目くばせで示した方角に、数人の騎士装束の男が固まっていた。
「マーロン公直属の騎士だな」
 いつのまにか、その隣に来ていたザリムが答える。
「マーロン公……ね……」
「……って、あの連中が怪しいってのか?」
「いや、そういうわけじゃないさ。だいたい、マーロン公の陰謀が疑われる場面でマーロン公の騎士が何かやらかすってことはないだろ?」
「だな」
 クオンにも、シエーアにも、その会話は聞こえている。シエーアはなんとなくその数人の騎士のほうを眺め、それからなんとなく視線を戻し、自分と同じように、その数人の騎士のほうを見ている、自分と同じような、この場に集まった屈強の戦士達の中では浮いて見える、小柄な少女の後姿に気づいた。
「あれ……?」
 見覚えのある後姿だ。いや、以前に見たときとは装備は多少異なっている。あのときは旅装だったが、今は戦闘に特化した装備――シエーアたちと同様に。それだけに、その帯びた特徴的な武器が目につく。短剣と、反りのある剣。
「えっと……確か……」
 どう声をかけたものか、迷って云いよどんだ声に、その少女が振り返ったのは声に聞き覚えがあったからだろうか。
 肩越しに振り返った少女の目が、驚きに見開かれた。

(暑い……というか……蒸す……)
 慣れない騎士装束のせいもあるのだろう、無意識に襟元を広げて手で扇ぎそうになって、その手を止める。「せいぜい、上品に振舞ってくれ」 顔役の言葉を思い出す。
(……ち……ッ)
 トロルとの戦いについては、かれはいざとなれば何とでもなると思っていた。ギルドから借り出した魔法の剣が、そう強力ではないまでも炎の魔力を帯びていることは確認してある。多勢に無勢などという事態にでもならなければ――つまり周りの志願者どもが勝とうが負けようが、なんであれかれがひとりで一体を相手どる時間を稼ぎ出してくれれば――これで勝てるだろうし、相当ギリギリの事態になっても、「もうひと振り」を抜けば切り抜けられる自信はあった。とはいえ、それは最後の手段だ。腕輪の魔力で自分の肉体は姿を変えているとはいえ、紅蓮鳳凰は目立つ。その持ち主だというだけで素性が知られてしまうことにもなりかねない。同じ理由でチェルシーも連れてはいない。
 問題はナーリ王子の抹殺という任務のほうだ。
 ざっと見渡した限り、周囲の「マーロン公の騎士」たちもそれなりの手練が揃ってはいるようだ、だが、王子が生半な使い手ではないことは一見してわかる。まともに戦っては、たとえ勝てるとしても、時間がかかりすぎるだろうし、時間をかけていてはまず成功しない任務だ。
(こいつはトロルさんに期待、ってか?)
 空を仰ぐ。雲が出てきていた。蒸し暑さの原因は、ひとつはあれだろう。
(……雨にでも降られたらなかなか素敵なことになりそうじゃねぇか……)
 トロル相手の切り札は火だ。討伐隊の中には松明やらを手にして、それでなんとかしようとしている者もいるようだ。魔法の炎なら問題ないだろうが、そうした炎に頼ろうというのであれば、天候次第では相当面倒なことになるだろう。
 まぁ、出たとこ勝負なのは最初からわかっていたことだ。視線を地上に戻したかれの耳に、少年の上げた声が聞こえた。初めて聞くナーリ王子の声。誰かを呼んでいる――。
(クオン……? どっかで聞いたか?)
 それとなしに王子のほうを見て、あやうく、かれは叫び声を上げそうになった。
 準騎士の装束に身を包んだ大柄な戦士が、その呼び声に答えて王子に一礼する。それはいい。問題は、その左右に付き従うふたりだった。
(……あいつらも参加していやがるのかよ……)
 しかも王子と妙に親しげな様子だ。
(面倒なことになってきやがった……しかし、と、すると、あの男が噂の御仁ってことか……?)
 ざっと、その姿を見分する。優れた戦士であることは明らかだ。だが、それ以上のことはわからない。
(そういや、教会の手の者も見当たらない……ということは、噂の御仁と教会の人間は別行動で、シエーアとデカブツだけが討伐隊に参加、あの男は無関係ってことも考えられるか……)
 いずれにしても、あのふたりを敵に回すと相当に面倒なことになるということは、かれは知り尽くしている。極端な云い方をするならば、巻物に「The End」を突きつけられてから、先日手元に取り返すまでにかれが味わった艱難辛苦は、すべてあの二人のせいだとさえいえるのだ。もうひとりの男が誰であれ、腕がたつことは明らかである以上、これも相当の障害になることは間違いないだろう。
 王子のそばにいた戦士と、「デカブツ」が自分たちのほうを見ながらなにやら囁き交わすのを見て、大声でぼやきたい気分になる。せいぜい上品に。せいぜい。マーロン公が、ナーリ王子に関して「死んでも全然困らない」と思っていることは知れ渡っている。マーロン公の騎士である自分達が意識されるのは当然のことだろう。いや、たとえば暗殺までやりかねないという不安がなければ意識されないだろうか。いずれにしても、見るものすべてが状況の悪化を暗示しているように見えるのは確かなわけで、とりあえずぼやくかわりに、かれはそっとため息をついた。
(まぁ、デカブツもシエーアも明らかにこっちを見てるのに俺に気づいてねェってのは、この腕輪の効果の確認にゃあなるわな)
 しかし、これでますます紅蓮鳳凰を抜けなくなったことも事実だ。
「どうするんだ、エルフィス、そろそろ動き出すぞ? 王子に近づいておくなら今のうちじゃねェのか?」
 表情を変えずに、小声で近くの騎士が云う。
「もう遅ェ。というより、あっちは最初っから警戒してやがるよ。ここに出てくるときからべったりついてたあの二人、流れモンに見えるが、ありゃあ明らかに正規の兵士だ。あとから来た連中も相当な使い手だぜ。チャンスは戦闘中しかねぇ。必要ならそこらの雑魚どもの足引っ張ってでもこっちの状況を混乱させて、どさくさにまぎれて近づくっかねぇよ。奴らが勝手に窮地に陥ってくれでもすりゃあ「お助けします」とか何とか云って近づけるだろうが……ま、化けモンの健闘に期待するわけにもいかねェしな」
「……そうかい。ま、オレらとしちゃあアンタの腕なしじゃあ話が始まらねぇんだからな、あんたの指示に従うだけだがよ」
 舌打ちしたい気持ちを抑える。
 全部エルフィスの指示に従う、ということは、仕損じた場合も全部エルフィスのせいにする、ということだ。だからといってこの連中の指令に自分が従うわけにもいかないのだが。かれのメンツの問題だけではなく、単純に、名前も知らないこの男の云うとおり、「自分の腕なしでは話が始まらない」ということは事実なのだから。
 いや、苦虫を噛み潰したみたいな表情をいつまでもさらしているわけにはいかない。せいぜい謹厳な表情を作り直して顔を上げたかれは、またしてもびくりと身を震わせそうになった。
(……あいつは……)
 他にも、自分達を見ている人間がいた。
 女だ。年齢的にはまだ少女と呼ぶべきだろう。腰に短剣と反りのある剣を吊った少女。そこまでの特徴は、明らかに、酒場で三人組の男たちから聞き出した、「青の剣」の持ち主のものだ。腰に吊った短剣が「その」短剣かどうかは、この距離ではわからない。というか、それほど詳しい形などを覚えているわけでもなかったから、近くで見ても、それが抜かれるまでは何とも判断は下せないだろうが。
 だが、それ以上に、その少女の顔が――無表情にこちらを観察しているその顔が、かれの身を震わせたのだった。
(ありゃあ……そうだ、間違いねェ……)
 その少女も王子の周りを固めるのだろうか。だとしたらまたしても面倒が増えることになるのだが――。
 奇妙な感情がかれの心を震わせていた。歓喜にも近い感情が。歓喜? それはそれで奇妙なものだ、と思う。彼女がかれの知っている人物ならば、かれの(本当の)姿を見れば確実に命を狙ってくるに違いないのだから。
(間違いねェ、「ヒヨッ子」ソウカかよ! 生きてやがったのか!!)

「殿下、そろそろです」
「ん」
 走り寄って告げた城の兵士――補給と支援を担当すると思われる兵士の言葉に、王子がかるくうなずく。
 周囲にいた者達が、明らかに緊張するのがわかった。
 そろそろ。そう、出陣の時間だ。
 兵士が走ってゆく。その方角は前方。橋につながる方角だ。
 いくつかの声が飛び交う。指示と、それに答える「了解」の声。緊張が広場全体に広がる。
 橋を封鎖していた柵――といっても普通の馬防柵のような柵で、トロルに効果があるとも思えないものではあるのだが――が左右に曳かれて取り除かれてゆく。
「有志諸君!!」
 王子の声が響いた。高い、よく通る声。
「王子ナーリである! 民を苦しめるトロルを征伐せんとここに集結してくれた諸君に、まず王家を代表して感謝の意を表したい!」
「……王子様、いつ文面考えたんだ?」
「さぁ?」
 云い交わすクオンらのすぐそばで、ザリムが大声を上げてそれに応じた。同じように、広場に集まった人々の間からも声が上がる。
 ザリムは、おそらく場を盛り上げるためのサクラだ。それはわかるが、士気を鼓舞することは重要だ。ひとりの戦士と一体のトロルが戦えば、勝敗は単純に実力の優劣で決まる。だが、十人と十体、百人と百体となれば、それ以外の要素が大きく関与してくる。「士気」という要素が。
「我らの父祖の代より、我々の生活はこの大河とともにあった! 我々の父祖はこの大河の恵みを受けて荒野だったこの地に根を下ろし、今日の繁栄の礎を築いた! その後、我らが父祖が周囲の民との交易を成し得るだけの力を得るまでがどれほどの苦難の道であったか! 諸君はそれを覚えているはずだ!」
 おおー! と、群集が応じる。討伐隊に参加するものも、見送りに集まった者達も。クオンとジェッターも声を上げる。
「今や我らは、大河の恵みと、大河をまたいで行き来する人々のもたらす恩恵により繁栄を謳歌するに至った! だが見よ! 我らの父祖が築いた橋を! 我々みなの父祖を育んだ大河を! 今や、人々よ! 諸君の日々の糧を、諸君が日々丹精込めて作った品を、それを運んできた我らの父祖が築いた橋を見よ! 今我が物顔にその上に腰を据えたものどもを!」
 王子が剣を抜き放つ。雲は厚みを増しつつあったが、明らかに強力な魔法を帯びたその刀身は、陽光をはじいてまばゆく煌いた。
「我らの父祖は百年かけてこの地に町を築き、百年かけて今の繁栄をもたらした! 今! あの怪物どもに怯えて父祖の苦難を無にしてよいはすがない!」
 喚声。シエーアも唱和する。
「有志諸君! 今こそ我らが立ち上がるべきときだ! 今こそ父祖らが命をかけて築き上げたこの町の今を、我々の手で未来につなげるときだ! 勇士諸君! 今こそ諸君の力を結集し、怪物どもを打ち倒そうではないか!!」
 喚声に加えて、地響きのような音まで轟きだしたように思えた。兵士たちが足を踏み鳴らして士気を鼓舞しているのか。
「……なんかやたら話でかくなってない?」
「なってる気がする……」
(参加している連中って、この土地の人間じゃない奴も多いと思うんだがなぁ……)
 そう思いつつも、声が上がれば唱和する。シエーアも唱和している。ジェッターも唱和しているが、視線がときおり油断なく周囲を見渡しているのが見える。シエーアがさきほど声をかけた少女は、こちらは無表情に周囲を見渡している。
(そういえば……)
 何故、復讐に全てをかけた少女がトロル討伐に参加しているのか、ふと、シエーアは疑問を覚えた。だが、それも一瞬のことだ。どのみち、彼女が声をかけて少女がクオンたちの近くにやってきてから王子の檄まで、ろくに話をする時間もなかったのだ。王子が声を張り上げてから、周囲は恐ろしい勢いで熱気に包まれつつある。トロルを倒し父祖代々の土地を解放せよ! 人々の意思が急速に一方向に収束してゆく中で、自分のもうひとつの任務を忘れずにいることさえ容易ではなく感じられてくる。
「我らが父祖の築きし繁栄のために! 我々の未来のために!!」
 小柄な少年が振り上げた刀身が光をはじく。
「征こうぞ、諸君!!」
 集団が、波となって、動き出した。

(なるほど、大した坊ちゃんだ)
 その大波に飲まれないように、かといって出遅れないように、「仲間」たちを誘導しながら、かれは内心舌を巻いていた。
 かれは任務を忘れない。いや、任務そのものは、正直なところかれにとってさして重要なものではないが、かれにはもっと重要な使命がある。王子様が討伐隊の士気を鼓舞するのに引き合いに出したのは、云ってしまえばたかだか国家の存亡だ。かれの使命は、かれの巻物の使命は、「世界」の命運を左右する。
「おいお前ら、王子様の気迫にあてられて仕事を忘れんじゃねェぞ?」
「あ、ああ、わかってるさエルフィス」
 半拍、遅れた返事に、なんだか成功がまた遠のいたような感覚に襲われる。
(いや、王子様の周辺ものぼせ上がってくれりゃあ差し引きでトントンってとこか……?)
 動き出した大波は、観衆の一部を含んでいた。橋のすぐ手前で、さすがに熱狂していたとはいえ、それら準備の整っていない連中は歩みを止める。幅の広い橋の上へ歩みだしてゆくのは、先頭集団の中心にナーリ王子を頂く討伐部隊の面々だ。
「騎士団! 右翼につくぞ!!」
「はッ!」
 かれの、芝居まるだしの号令に合わせて、ギルドの「騎士」たちも一応は騎士らしく応じる。
 早足に進みながら、隊形はほぼ横一文字に自然に変化してゆく。前方に、対岸の陣地――現在の人間の感覚から云えばただたむろしている場所に多少の秩序を与えた程度のものにすぎないが――から、斧や大槌といった武器や、投げつけるための石を手にわらわらと出てくるトロールの姿が見える。
「弓のある者は各個に攻撃を開始しろッ!」
 そうした命令は、正規の軍隊のように、伝令や中級指揮官を介して行われるわけではない。が、軍隊ならざる討伐隊の現在程度の人数ならば、口々に叫び交わす言葉だけで充分だった。
 弓矢の腕に覚えのあるものが、それぞれに射撃をはじめる。むろん、矢襖にしたところでトロルを殺せるわけではないが、相手の動きを鈍らせる程度の効果はあるだろう。やっておくにこしたことはない。
 トロルの投石も始まる。まだ届かずに手前に落下するものも多いが、いくつか、おそらくは剛腕のトロルが投げたものが、最前列に襲いかかる。苦しげに呻いて倒れた姿が見える。その男を迂回して、進撃が続く。盾で鮮やかに逸らして進撃を続ける姿も視界にあった。シエーアとジェッターの連れの男だ。そのすぐ後方に、ナーリ王子と直属の戦士たちが続いている。
(……ま、とりあえず善戦しといてくれよ……)
 唇を舐める。周囲で、一度下火になった鬨の声が上がりはじめる。
 今、まさに、それが最高潮に達しようという、その、とき。
「兄上! 兄上〜!!」
 ――王子の声に劣らぬ、高く澄んだ声が、後ろから聞こえた。
 ざわり、と討伐部隊から声が上がる。
 振り向いた王子の顔が驚愕に彩られるのを、人々は、見た。
 そして、その顔がすぐさま、不敵とさえ云えそうな、戦士の、会心の笑みに塗り替えられるのを。
「シューイか!」
「兄上! 私も参加させてください! 民の苦しみは王家の苦しみ! 民の苦難は王家の苦難! 民がこの未曾有の大難を力を合わせて克服せんとしているそのときに、兄上が民とともに苦難に立ち向かわんとしているときに、私ひとりが安全な場所で待っていることなどできません!!」
 討伐隊から声が上がった。ナーリの言葉に応えたように、シューイの声に応えて。
「よし、わかった! シューイよ! お前はまだ一人でトロルと戦うには若すぎるが、お前の決意と参戦は必ずや我らを勝利に導くであろう! 右翼にマローン公直属の騎士団がいる! かれらと共に行軍せよ!」
「はい、兄上!!」
 一瞬、乱れかけた足並みはふたたび前を向いた。怒号にも似た鬨の声が上がる。
 もう、かれには、しかし、そんなものは聞こえていなかった。
(マローン公直属の騎士……って……誰だっけ……?)
「そなたら、マローン直属の騎士であるな」
 ナーリ王子の声は、まだ声変わり前の子供のものとはいえ、それでも、全軍を指揮するに足る迫力をそなえていた。それこそが王者の威厳というものの、その片鱗なのだろう、と、かれでさえ納得するような。
 シューイの声は、まだ幼さのほうが表に出すぎる。その、臣下に対する言葉遣いも、なんとなく不慣れに聞こえてしまうぐらいに。
「シューイだ。まだ兄に比べれば未熟だが、精一杯戦うつもりだ。よろしく頼む」
 明らかに兄弟とわかる、ナーリとよく似た顔立ち。だが、あどけなさが、その幼さの印象のほうが、この弟王子に関しては強すぎる。兄が実戦を想定して防具を軽く、武装を重くしてきているのに比して、この弟王子はその成長途中の体に合わせて作られた、騎馬槍試合にでも出られそうな重装甲で全身を護っている。
「は、ははッ、王子殿下の直衛とは願ってもない大役、光栄の至りでありますッ!」
 この状況で何か口がきけるのは、どうせギルドから来たにわか仕立ての騎士の中では自分ぐらいしかおるまい、という程度のことは考えられた。だからそう答えた。だが、それ以上のことは、もう何も考えられなかった。
(なんでシューイ王子がここにいるんだ……)
 頭の中は真っ白だった。
 それはもう、「The End」のときでさえ、これほどではなかったのではないかと、頭のどこか片隅で思ってしまったほどに。
 完全に、真っ白だった。
(どう、どうしろと……?)
 マーロン公直属の騎士とともに行軍せよ。
(どうすんだよ、シューイ王子、ナーリ王子、あんたら王位巡っていがみあってるのかと思ったら、なんだよ、仲いいじゃん……俺なんて……妹あそこにいんのに……俺、何やってんだっけ? なんでこんなよくわからない陰謀につきあってるんだ? そうだ、巻物だよ! 巻物……巻物の使命ほったらかして何をこんな安っぽい、しかも本人無視な陰謀とかにつきあってるんだ俺? むしろどさくさにまぎれて何とかするなら王子とかより青の剣とかじゃないのか?)
 喚声が、また、ひときわ高まった。
「全軍抜刀! 全軍突撃!!」
 兄王子の声が響く。それに応えて鬨の声が上がる。
 すぐそばで、シューイ王子も声を上げる。
 すさまじい怒号の中で、かれは、いっときの自失から現実に引き戻された。
(……とりあえず、趨勢を見て考えるしかねェ……)
 すぐ目の前で、最前列がトロルと近接戦闘に入るのが見えた。
(まずは、生き延びる、状況を見定める!)
「両王子殿下の御前であるぞ! 今こそ騎士たる武勇を示せ!」
 適当に発した出任せの檄に、ギルドの「騎士」たちが何か応えたかどうか、それはもう、周囲の喧騒に巻き込まれて、かれには聞き分けることはできなかった。


Written by DRR (04.07.09)
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