JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





六周目四番



 東の空、明け行く天の淡い輝きの下、遥か彼方に僅かながら霞んで見える稜線。夜の女王の裳裾が気紛れに翻され、安らぎの闇黒は、焦らすかの様なゆったりとした時の流れの中で、濃紺の色に少しずつ少しずつ染め上げられていく。やがて。濃紺から藍色、赤みがかった青、力ない水色とその色合いを移したかと思うと、橙色の向こうから強い光が生れ落ち、無限に延びる白い道を照らし出したかのように思えた。遍く世を照らす陽光は、今、まるで新たに作り出されたかのように、眼下に広がる大理石を主たる材として組み上げられた真白き巨大都市に、黒く長い影を齎していた。

 「残念ながら、崩壊した橋の影響で、王国内のみならず、その先一帯での経済に対して少なからず影響が出ている模様です。但し、船主ギルドに対する要請が功を奏し、交易が途絶ということにはなっておりません。尚、件の王子は傭兵に保護された模様です。」
 「そう。ご苦労様。」
 普通の民家であれば、二階建ての屋根くらいの高さ程はあろうか。ふと見上げたくなるような天井。よく見れば、金で縁取られた葉を元に編み出された文様が複雑に、その梁や柱を取り巻いていた。集会所かと思わせる広い室内は、深い毛並みの紺とも思える青紫色をした絨毯が敷き詰められて、無駄な音一切をその中に閉じ込めているかのよう。無論、僅かにも汚れなど見えようはずもない。その宵闇を思い出させる床一面を、大きな窓から差し込む眩いばかりの朝日が鮮烈なまでに照らし出していた。そこに跪く白き外衣を纏った、騎士をも。
 蒼に沈む白。
 誇り高き修道騎士。
 その上に延びる人影は、柔らかい曲線で構成されていた。
 穏やかに労いの言葉を紡いだ、その影の主は、ほっと溜息をつきながら、その背後に広がる聖都の美しい町並みに向かった。
 暫しの沈黙。
 その静かな背を退室の許しと受け取ったか、修道騎士は音も気配も感じさせずに、そっとその場を立ち去った。
 部下の騎士以上に、その身を包む純白に染まりながら、彼女は眼下を見下ろす。
 蒼に浮かぶ白。
 聖都イスティーア。
 地上最大の都は、女神の掌と言われる、雄大なる巨岳の古い火口の中に存在した。
 その火口はほぼ正円。正円を、さほど高くもない、どちらかといえば丘とすら呼びたくなるような連山の縁がぐるりと取り囲む。その深緑に煙る連なりの縁、南よりの半円に、五つのこれは天を貫くという喩えが相応しい、険しくも優美なる頂が峨々として聳えていた。
 その有様が、まるで火口の窪みに広がる沃野を掌に、五本の指が天を掴むかの如く力に満ちて伸びゆくようにみえることから、いつしか斯く呼ばるるに至ったのだと、ある者は語る。
 掌の端から端までは、人の足にして、凡そ三日。その広大な起伏のほとんど見られぬ平地を埋め尽くすように、白く切り出された大理石で組まれた無数の家屋が立ち並ぶ。網の目のように張り巡らされた全ての路地が向かうのはその中心。少し崩した楕円型の湖。暦の生まれるよりも更にその前は、赤々と天空を焦がした火柱をあげていたという神の金床。そこは今、獄炎の代わりに大海を思わせる静水にまどろむ。『女神の涙』と人の呼ぶ水郷。
 正確には。
 湖の更にその中心に浮かぶ島の上。威容を見せ付ける、巨大建築物複合体。
 聖教府。
 全ての『教会』の中枢。
 その城砦とも見紛う荘厳にして重厚な一連の建築物の中でも、一際目立つ東西南北とその中央に位置する、山々に挑むかに下界を見晴るかす巨塔の一つ。早天、最初に陽光に輝く東塔は『払暁の間』から、彼女はイスティーアが靄の中静かに息づいているのを感じていたのだった。
「このようなときであっても、人は日々の生活を追いかける。その先を見すえることはなく……」
 呟くと、声が答えた。
「だからこそ、人は生きていける。先に絶望しかないと知って、どうして生きていけるでしょう?」
「紅亡の星は、既に誰の目にも見えるもの……それでも、なお、人はその事実から目をそらそうとします」
「目をそらす? いいえ。知らないのです。知らないから、彼らは束の間の幸福を謳歌する」
「それは、本当に幸福なのでしょうか?」
「幸福は、人それぞれ。そのささやかな幸福。或いは幸運を守るのがあなたの役目では……?」
「私の役目は、『今』を守ること。私の一族は、来る災厄を破り、世界を光で照らす為にあるのですから……」
「……あなたの妹も?」
「……ええ。私の妹も」
 心なしか、声が翳を帯びたようだった。
「……私の一族の名はグローライト。古語でその名の意味するところは……」
 言の葉は舞い散ることなく宙に留まる。
 そして。それを紡いだ者は、フィアナは、ゆっくりと振り向いた。
 赤紫の地に金糸の刺繍。
 簡素な構造だが豪奢な、聖者の血衣の名を持つ法衣に身を包み、たおやかに、だが威厳を湛えて彼女の正面に立つ女性。
 教会の守護を務め、ときに信徒を導き、ときに異教徒を払う、事実上の最高強制執行機関である修道騎士。彼らを束ねる総本部たる『聖都の東塔』の、その長が執務を行う公室『払暁の間』において、現在の部屋の主たるフィアナの前に頭を垂れずに済む立場にあるものは、この聖都においてすら唯一人しかいない。
 「『光育むもの』」
 フィアナよりも年若い、むしろ少女と呼ぶのが似合いの女性が、微笑みながら答えた。

 結論から言うと、クオンの『もうこれ以上何事もなく聖都に到着したいものだ』という健気な願いは、神に丁重に、だが徹底的に無視されたようだった。
 イスティーアの中央に広がる湖から溢れ出た水は四筋の流れとなって、無骨な絶壁となっている女神の指の隙間から、一気に滝となって地に下る。その様は、まるで光の奔流が視界を覆いながら天に向かって立ち上るかのようで、虹が絶壁を渡る架け橋の如く横切るのが目を奪う。耳を圧する轟音は、大地の子守唄か。辺りを包む、雨のように降り注ぐ水飛沫を心地よく手に受けながら、シエーアは眩しげに滝の先を見上げた。
「ねぇねぇ、凄いねぇ。流石は聖都だねぇ。」
 シエーアは声に態度に目いっぱい茶目っ気をこめて、傍らの、こちらは些か蒼ざめて生気のなさそうな男性陣にしつこい程に、一方的に話しかけていた。
「こんな絶景、他の地じゃ、絶対にみられないよね。二人とも、もっとよーく見ときなよ。老い先短い身では次に目にできるのはいつだかわからないよー?」
 対するに、男二人組みはといえば、声に態度に目いっぱい渋い思いをこめて、傍らのやたらに元気な少女を、可能な限り無視しようと努力していた。
「おい。いつもいつも無駄に元気だとは思っていたが、君の相棒は些か元気すぎやしないか、じぇったーくん。まさか本業だからって、そんなものまで我輩に売りつけて小銭を稼ぐつもりじゃあるまいね?」
「なに。高いところに来たせいで、きっと浮かれておるのだろうよ。くおんくん。なんちゃらと翼竜は高いところが好きと太古の昔から相場が決まっているからのう。それが証拠にみたまえ、私は静かなものだろう?」
 クオンとジェッターは、互いに、しっかと正面、即ち両脇に広がる絶壁の無骨なこげ茶色と、前方一面に果てしなく蒼穹の爽快な青だけを見つめて、ぴくりとも動かずに、ぎこちなく全く欠片も面白さという要素も、意味というものも介在しない会話を交わす。
 そこへ、冷ややかに、だが楽しげな形のない暴力が、容赦なく投げかけられる。
「ふふん。そんなこと言うんだ……それっ!」
「わぁぁっ、やめろ、やめれば、やめるとき、やめようシエーアっ!?」
 小柄な少女の思い切った跳躍に、大きく揺れる船体。慌てたジェッターは明らかに混乱した半ば悲鳴じみた台詞を吐いて、恥も外聞もなく蹲る。
「……。」
 一方のクオンは絶句したまま、その場に固まったのだった。どうやら無理につくりだされたと思しき無表情の仮面の中で、口元だけが微妙に引きつっている。普段はなんだかんだ言っても保護者然として偉ぶっているところがないでもないその二人の有様に、シエーアは涙を流さんばかりに笑い声を響き渡らせた。
 その石と化したクオンを蕩かすように、甚だ緊張感に欠ける声音が、船尾から船首で只管笑い転げている少女を嗜める。
「まぁ、そのようなことをしては危ないですよ、シエーアさん?」
「えへへー。ごめんなさい」
「もし、この船から落ちでもしたら……あとは眼下遥かの滝壺まで真逆さま。まず、この世に留まることは叶いません。」
 シエーアは、流石に笑いをおさめて、それでも目には名残の涙をとどめたまま、その声の主を見やった。
 水色の地に白の三本線の入った丈の高い帽子を被り、これもまた水色の地に白の帯の身にぴったりとした細めの衣。胸には金で舟をあしらった紋章が描かれている。
 船尾で祈るように手を組んで、どことなくぼんやりとした微笑でシエーアを見つめる女性。
 空色の瞳は、正直、どこをみているのか捉えどころがない。術に集中しているのだろう。
「でも、なんとか『見えざる腕の優しき抱擁』とかで掴んじゃえば、ね?」
「いいえ。この滝は、聖都に通ずるたった四筋の水路の一つ。邪な輩が立ち入ることを防ぐ為、術は唱えたその場で霧散するようになっているのですから。ご説明しませんでした?」
 彼女は、世で『水姫』として知られる水先案内人。四筋の滝を、下界より聖都へと昇る水運の管理者達の一人である。聖都を覆う、破術の防護陣の中で、舟をして滝を昇らせるという水術を生業とする世俗の術師だ。
 従って。
 彼女が術に集中しているということは、彼女の乗っている舟、即ち一行の乗るこの船が今、滝を昇っている最中であるということである。いかなる戦場でも毛筋程の動揺を見せたことのないクオンや、いかなる罠にも常に冷静に対処してきたジェッターですらも、流石に平静でいられないのも由ないことではない。
 端から見れば、絶壁を豪快に流れ落ちる見上げても上端の見えぬ長大な滝の中ほどを、滝の水面に底面を向けた小舟が、ゆるゆると滝壺から昇りゆくのが、七色の架け橋に彩られて異世界の絵のように描かれているのが分かるだろう。
 小舟に乗っていさえすれば、確かに底が大地のように彼らを捕まえていてくれるのだが、それでも人の心理として、どうしても背後、船尾の遥か向こうの滝壺が下のような気がして、彼らを引っ張っているように感じられてならないのであった。
 そして、徐々に遠ざかる下界の景色を目にしては、魔術を使う身でもなければ、目も眩もうというものだ。
 そのようなやり取りが、なされて暫し後。漸く男性陣に落ち着きが戻り始めた頃。まともな会話が船の上に帰ってきた。尤も、不必要に身体を動かすことは、男たちは絶対にしないようであったが。
「……ところでクオン。ここまで来たのはいいが」
「なんだ?」
 どことなく、声が定まっていない気もするが、気のせいだろう。気のせいだと思いたいと、男どもは思いながら、周囲から気をそらすかのように話し出した。
「いや、今後、どうするよ。おれっちは、聖都は初めてなんだ」
「初めてはこっちも同じさ。まぁ、まずは宿をとるところからだろう? どこでも変わらない大原則ってヤツさ」
「それはいいんだが。聞けば、イスティーアってのはとんでもねぇ大都市だって話じゃないか。ティオレちゃんとは、どうやって合流するつもりなんだ?」
「あ、それそれ。ボクも気になってたんだよー。ほとんど街道沿いの町には立ち寄れなかったから、全然、どこにいるか分からないもんねぇ」
 結局、ティオレ、いや、フィアナとは出会えずじまいだった。
 あの町から聖都までは、途中にさほど大きな町がない上に、道筋は何通りもあって、意外と道程は長い。路銀などを考えた上で、敢えて陸路を取らず、舟で移動することにしたせいもあるかもしれなかった。
 だが。
 あのフィアナのこと、おそらく既にイスティーアに戻っているのではないだろうか。戻っていないにしても、何らかの手をうっているのは想像に難くない。なんといっても、彼をイスティーアに誘ったのは、他でもない彼女だ。少なくともトレートティースでのことを考えれば、それなりの地位を教会内に築いているのだろうから、聖都の名高い『聖教府』近辺で名を出せば、繋ぎくらいはとれるだろうと、クオンは考えている。
 むしろ、本物のティオレに会う方が、遥かに難しい気がしてならない。もう、離れてから何日が過ぎたのだろう。彼女の濡れたような黒い髪。吸い込まれそうになる黒い瞳。心に残るその面影に、語りかけ触れてみたいという思いが募る。彼女は、今、何をしているのだろう?
 数瞬の幻影。
 だが、クオンはそれを深奥へと押し込める。いよいよ、例の巻物とやらが発端と思われる一連の騒動の真相に迫るときが来たようなのだ。教会の本拠地で気を抜ける程、彼は楽な人生を送ってこられたわけではない。
 とはいえ、そのような内面をみせることなく。
「……まぁ、素直に『教会』に聞いてみればいいんじゃないかなぁ。なんといっても、彼女はクラリックなんだからな」
 クオンは、自信ありげに、だが、いまだ震えの取りきれない声で答えたのだった。


Written by artemis (04.11.17)
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