JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





七周目四番



 既にして朝と呼ばれるときは過ぎ去り、燃え盛る蒼天の王は中天にさしかかろうとしていた。そのどこまでも広がりゆく蒼穹の下に、一際白く輝くは聖なる都イスティーア。
 イスティーアは教会の町。
 信仰を統べる、世界の中心勢力の一つ。
 何人たりとも侵すべからざる、神聖なりし神の都市。
 とはいえ。信仰だけでは人々の生活が成り立とう筈もない。世界にその名を轟かす巨大都市は、そこに住まう個々人に注目するのであれば、他の町村と同じように、ごくありふれた日々の生活が営まれている。絶え間なく。今、この時も。
 巷間に商人たちが声を上げ、青果から装飾具、武具に至るまであの手この手で品を裁き、或いは漁師が『女神の涙』の豊かな恵みを売り歩き、果ては随分と、いや些か余計なくらいに威厳がありあまる神父が、肩で風を切りながら少々垢抜けない三人組を探して彷徨い歩いていた、日が天頂高く昇るにはまだ時足らぬという頃。
 この喧騒溢れる紅の塵遥かなる聖域。神聖を謳われし神官、神父、修道騎士……それら聖職と呼ばれるものの最高位に立つ『教母』が住まうは、聖教府、中の塔。その、神の座を目指して不遜に聳える古くとも堅固なる尖塔の最下階に位置する、最高教会議の場である『太陽の間』において。滅多に開かれぬ、その部屋の扉の鍵が、開かれていた。
 最高教会議。
 文字通り全教会の頂点に立つ最高意思決定機関。この会議に席を連ねることを許されるのは、『教母』と、数え切れぬ人々の間に僅か百を数えるに過ぎぬ大祭司、その中でも最も権威ある各宗派の代表者たる指導者より、特に選ばれた十五名のみ。所謂『十五聖賢』である。『十五聖賢』は各々の役職に従い、普段は布教の為に世界に散らばっている。ある者は、白い帆布眩き港湾都市に。またある者は、連なる山々に穿たれた数多の穴を見下ろす鉱山都市に。そして、首座に立つ女性は、剣を手に修道騎士団の総本部に。だが、一度、中の塔の最上階にある『天空の鐘』が鳴らされれば。どこにいようとも、彼らは参集する。
 ――ただ、教会の意思、それを生み、それに従う為に。
 名にしおう『太陽の間』はだが、その名に反するが如く、光輝とも、壮麗さ、華麗さとも無縁であり、その主たる教母の玉座でさえ、虚飾はおろか装飾というものを全く宿していなかった。それが『太陽の間』と呼ばれるのは、ただ神の代弁者にして地上の太陽たる教母がその威令と慈悲を遍く垂れ給うが為の故。それ故に、世俗と最も隔絶したこの一角では、教母が最初に座して、神の僕の参集を待つが常例だった。

 そこは、磨き上げられた大理石を巧みに積み上げた、柱のない堅牢な大部屋。その中央を占めるのは、教母の座する緋色をした簡素な作りの王座を上座とした長机。一筋の金も使われず、一葉の飾り彫りもない、ただただ頑丈な木製のそれを囲むように配置されるは数多の椅子。何れも使い込まれ、傷みこそないものの、隠しきれない古さが滲み出ている。建築された当時から一刻とて絶えることなくそれらをぼんやりと照らし出すは、これは些か黒ずんだ白石の壁に並ぶ、『天の灯』なる魔法の燭火。温かみはあれど輝きはない、この暮れ残ったが如き薄暗き部屋に、真の太陽を迎え入れる窓はない。
 倣岸にも人の手にて作り出された小さな陽光たちに囲まれて、太陽の間というには些か語弊のあろう頼りない偽りの昼に憩う室内を、外界と切り離すは重厚な扉。それもまた特に装飾は施されていないが、両開きで、片側だけでも人二人は並べるだけの幅がある大きな壮麗とは呼び得るであろう。
 その大扉の前に、白き聖女は一人佇む。

 ……それが何を意味するのか。きっと、深く考えずに、ただ周囲の大人達の言葉に従っていれば、このような苦しみを得ることもなかったろうに……。
 平素、全く心に浮かぶことのない、だが、ときには頭をもたげる自嘲の弱音。しかし、後悔という名の見えざる敵に膝を屈したことは、ない。一度も。そして、これからも、屈することはないだろう。
 最初に耳にしたのはいつの事であったろうか。まだ頑是無い子供、言葉の意味も真実の影も知らぬだろうと、無防備に語られた会話を耳に留めてしまったのは。
 深刻な声音を発する彼らが纏っていたのは、真紅の法衣。聖教府の住人、それも天近き塔の上層に住まう身分に許される衣。数多の襞が織り成す陰影が、何かを暗示しているような錯覚にとらわれたような気がする。いや、間違いなく暗示していたのだろう。今にして思えば、そのときに開かれたのかもしれない。定命の身が必ずその前に目にするという運命の扉とやらは。

「どうやら、妹の方ですな。次代の《絆》となる者は……」
「ふむ。これで……。では、すぐに手を打つがよい」
「左様……行動は早ければ早いほど良い。時は待つことを知らぬがゆえに」
「しかし、誰に命じたものであろうか……?」
「例の若僧がよかろう」
「老人の下の、あの、若僧か?」
「……馬鹿なことを!」
「そなた、正気か?」
「至極、まともな提案ぞ。考えてみよ。彼の者は確かに異端かもしれぬ。しかし、教会に、否、信仰に身を捧ぐこと、人のそれを上回ること幾倍か」
「ふ。ゆえに、人を信ずるが如きには、彼の者を信ずるわけにはいかぬ」
「ほう。貴卿は人を信用されるか。それは初耳」
「我等は人は信じぬ。信ずるはただ、教会のみ」
「これは手痛い言い様。ははは……ですが、確かに、仰るとおりですな」
「……信仰など、所詮は方便。最も合理的なまやかしに過ぎぬ」
「よい剣を鍛えるには、よい鍛え手が必要。《絆》には身につけさせねばならぬとあらば……」
「やむを得ぬ、か」
「賛成しかねるな。まずは生家に任すべきではないか?」
「そして、またも彼奴等に名を成さしめるのかね?」
「当主亡きグローライト家は混乱しておる。今が好機なのは分かろうに」
「《絆》は《その者》に巡りあい、約束の地への鍵としての役割を果たせさえすればよい。どのように育とうが、そう、たとえ死んでしまおうが、それは問題ではない。……ここは一つ試してみようではないか」
「我々が喪うものは何もない」
「何一つ、な」
「では……」
「終わらざる終わりを、終わらせんが為に……!」
「Amen」
「Amen」

 《絆》。
 《絆》とは何なのか。
 生まれながらに背負う家名が為に受けられた高度の教育と、与えられた特権が故に。西の塔の光射さぬ書庫の中、まだ幼いといわれる年の頃より、その単純だが多くの謎を宿した一言について真実の意味するところを、私は追い求めることができた。一人で。本当に様々な特権を得、そして様々なものを喪っていたのだと、今は分かる。孤独であるということも、その数多の喪ったもの、或いは特権の中の一つだった。
 自らが初めて知ろうと努めた答えに辿りつくのは、実際にはさほど難しいことではなかった。
 それは、だが、残念ながら自身の力によるものではないことを認めざるを得ない。それは、ある女性の助力の結果だった。いや、助力というのは正しくないかもしれない。そう。彼女は、ただ全き答えを齎しただけだったのだから。
 そのひとは、たおやかに微笑みながら、一人本の大海を漂う私に語り掛けた。
「何を、探しているの?」
 私は答えた。
「妹の生まれてきた意味を」
 そのひとは、目を瞬かせた。
 少し、首を傾げて、顎に人差し指をあてて、不思議そうな声で、彼女は言った。
「難しいことを考えるのね、あなたは。」
 そのひとは、軽く笑い声を上げると私の額を小突いた。
「理由が必要なの? あなたや私がここにいるということに……」
 それが、ただ一人全てを知る彼女と私の出会いだった。

 ――宵闇が近いのだろうか。
 部屋を照らし出す燭台の中の、魔法により生み出された、熱を持たぬ黄色い永遠の炎が、特に揺れることもないのに、いやに目についた。陽光を思わせる燭火というには余りに眩い輝きはしかし、憐れなまでに力なく、かえって『太陽の間』という大仰な名を持つこの部屋の空々しい響きにこそ相応しいと思わせた。
「…………」
 瞑想に相応しい、荘厳なる沈黙。
 重苦しさよりも安らぎを感じさせるその静寂に、そっと身を沈める人影があった。纏うは血色をした法衣。それを着ることが出来るのは、この広き世界にただ一人。
 その『聖者の血衣』の主は、灯火の下に物思う。
『《絆》は生死を問わぬもの。じゃぁ、《絆》と生まれたものは、生きていることにどんな意味があるの?』
 据えられた緋色の座に手をかけてひっそりと佇みながら、その座の主たる人影は、過去の出会いを思い返していた。長い長い自らの人生の中で、今もはっきりと瞼に思い浮かべられる出会いは、そう多いものではない。そのとき、見上げてくる瞳に深い輝きを宿したその彼女は、まだ稚けな少女だった。
 歳に似合わぬ物言いをする、と半ば感心し、半ば苦笑したことを憶えている。だが、少女の育った環境を思えば、それも仕方のないことだったのかもしれない。特に、その少女と、少女の妹の立たされている処を慮れば。
 《絆》。
 それは、不吉な紅に導かれて一定の周期をおいて訪れるとされる、『大いなる災厄』を退けるために編み出された、一つの巨大な危機管理機構。正確には、機構を構成する部品の一つ。だが、その部品は機構そのものの存在を左右しうる重要なものであり、欠く能わざるものだった。古の世、未曾有の危機を予言せし、その時代の『力ある者』達は、多くの犠牲を払いながらも、遂には災厄を回避する手段を探し出した。その成果として誕生した、この、唯一の手段たる魔法機構の原理は、異界より莫大な『力』を引き出し、その『力』を収束・制御し『大いなる災厄』を相殺しようという一見非常に単純なものだ。その規模が計り知れないものである、という事実を除きさえすれば、だが。 
 《絆》はその部品を結合させる要素。機構を構成する為の、苦難の道程の始点。《絆》なくしてこの魔法機構は機能し得ない。それだけに。《絆》は常に準備される。準備され続ける。長年に渡り、数え切れぬ程の世代を重ねた魔道の家柄、そして教会の柱石たる名門、『グローライト家』によって。
 《絆》の役目の一つは、《その者》を探し出し、魔法機構に組み込むこと。言葉にすれば簡単だが、実際には困難を極める作業といえる。《その者》となる素質を持つ者は多くはない。仮に居たとしても、求められる資質全てについて基準値以上の能力がなければ、使い物になりはしない……。その難行を僅かなりとも楽なものとすべく、『巻物』と呼ばれる魔具は作られた。『巻物』に応えられる者は、少なくとも、《その者》たりうる資質は十分という保証が得られる。故に、《絆》は『巻物』を追う。文字通り、世界の果てまでも。
 だが。一度、《その者》を見つけたならば。
 《絆》の役目は一変する。
 『退災』発動への第一段階。《その者》の取り込み。《その者》は本人の意志とは関係なく、組み込まれていく。複雑怪奇な魔法機構へと。決して逃れえぬ、運命の鎖を持って……。
「……意味は、必要ないのよ……フィアナ」
 呟きが空気を揺らがせる。
 まるで、心の中を映すかのように。
 衣が僅かに煌き、細く泣いた。
 彼女は、語り続ける。想いの中の、かつての少女に。
 《絆》は、自らの『力』を自覚することは、ない。
 それは、血に潜まされた、罠。
 古より繰り返される、見えざる罪。
 《絆》が《その者》を目にした時点で、それは作動する。《絆》の意思は、そこに介在しない。
『元より、《絆》はその生死を問わぬものなれば』
 そう。一度、《その者》に《絆》が生じてしまえば、最早、人としての《絆》は生死は問わない。あとは、『器』としてのその肉体さえ残っていれば、それでよい。
 あとは、運命の歯車が、事を運ぶ。彼女は、それが繰り返されるのを見守ってきた。幾度となく。遥か遠き思い出の地より。今も、また……。
 ――教会は。
 それは数えるも虚しき数多の星霜を超え、人々の希望の光となり導き手となって、今や信仰の拠点にさえなってはいるが、元はこの罪深くも慈悲深い魔法機構を守る為に作られた組織。何重にも設けられた安全装置の集積地。あらゆる失敗を見通して組み上げられた、成功を知らぬ哀しい機械。
 そして、その頂点に立つ者は……ずっと立ち続けてきた者の真の役目は……。
「今度は……今度こそは、この永遠なる輪環を打ち砕けるかもしれない…………」
 彼女はあの書物の一文を、彼女自身に刻まれた聖句を、心に唱える。自らを縛するように。

 ――其は未来を探るもの
 その手はただ扉を開くためにのばされる
 一つは過去に
 一つは未来に
 ただそれを開くを望み
 其は永遠に手をのばす
 開かれる扉は常に一つ
 故に開かれなかった扉に意味はなく
 開かなかったその手に意味はない
 選ぶことは許されず
 選ばぬことは認められず
 其は閉ざされた輪環の中で扉を開く
 終わらざる終わりを終わらさんが為に――

 そう。
 私は永遠の選択者……。
 ――永遠を超える日を夢見る者。

 扉の向こうの彼女の気配が、過去を鮮やかに映し出す。
 閉じた瞳に今も浮かぶは、私が私であろうとしたはじめの刻。
 ……あのとき。
 何度も足を運んだ、書庫の一隅。
 下界に知られるイスティーア大図書館、その高名な知識の殿堂に蔵書量は及ばぬにせよ、蓄えられた一冊一冊の貴重さに関してはこの世界に並ぶものはないと一部のものの間に囁かれる、聖教府秘文書館。
 特に秘すべき幻の書物の集められた、知る人ぞ知る封印されし部屋の中で。
 本を手にした彼女は、超然として見えた。それが、世の理を全て記した書であるかのように、彼女は、尊崇の念を込めてその本を抱いていた。身に纏いし無私の敬虔さが、彼女を俗世と隔絶した何かに見せているのかもしれなかった。
 『世界は巡る一つの輪環。このままならば、その閉ざされた永遠の道の中に生まれる者は、どのような生を送ろうとも必ずいつかは同じところに帰ってくる。この世界に住まう者は、皆、同じなの。一人一人、違うようにみえても、長い長い時の中では同じ生を辿るのよ。だから……』
 だから。
 個々の生に意味はない。
 彼女は、そう言った。微笑みながら。だが、そこに隠された翳。彼女は涙を流さずに泣いていたように、私には思えた。最初に耳にした、あの心地良い笑い声。それとは異なる重みに、私は、知らねばならない、と思った。
 そこまで、彼女に思わせるものの正体を。
 なにより、私から妹を引き離そうとするものの真実を。
 それを知ったとき。
 私は、白の聖女となった。
 教会ではなく。ましてや、《その者》でもなく。この私の手で、終わらざる終わりを終わらせる為に。
 ――たとえ、全てを敵にまわそうとも。

 刻限が、来た

 召喚を告げる、天空の鐘が、死者も目覚めよとばかりに谺する

 高く低く

 強く弱く

 選ばれしものを差し招く

 ……手が、扉に掛けられた

 ……手が、座を離れた。

 白き裳裾が、廊下を払う。

 紅き裳裾が、玉座を埋める。

 ――そして。
 太陽の間の扉が重々しく押し開かれ、その微かに軋みむせび泣く音を伴奏に、『教会』は次の段階へと歩み始めた。

「――頃合、ですね」
 トレートティースの教会の一つで、青年は呟いた。
 中央の連中は、そろそろ、次の段階へと進めようとするだろう。ならば、こちらも次の手を打たねばならない。その為には……。
「偶には、旅もよいものかもしれません」

 その日。
 紅の染みが、天地の境界に浮かぶ頃。
 黒い法衣を纏った青年が一人、闇に沈むようにトレートティースの街から姿を消した。


Written by artemis (05.03.17)
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