JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





八周目二番



 白の聖女は、民衆が彼女を賞賛していうところの慈母の微笑みを浮かべて、自らの公室たる「払暁の間」から、白い巨大都市を見下ろしていた。天頂に燃え盛る目映ゆい光玉に照らされて、それはさながら大雪原のように清澄な煌きを放っていた。この、民草の住まう下界からはあまりに隔絶した、神域に属する塔の一室で、フィアナ・グローライトは、久方振りの逢瀬のときを待っていた。これからの自分と、自分が為すことによって惹き起こされるであろうことを思いながら。
 紅亡の星が、急速にその輝きを強めて、遂には誰もが騒乱の渦中へと引き込まれ行く筈の今後、教会はその『本来』の役目を果たす為、全力を傾注せねばならない。その決して表に出ては来ない教会の果たすべき真の機能は、宗教的な意味においてではなく、実務的な現実的な意味における『災厄』の回避。もともと、その為の魔法装置を維持・管理・運用する為の機構として発足したというのが、教母によって語られる『教会』の真実である。そのことを知るのは、巨大組織となった教会では、頂点に位置するほんの一握り。その枢要を占める者が十五聖賢と呼ばれる実力者であるが、その彼らでさえ、実際に為すべき事、為せる事はほとんどない。
 そう。
 フィアナ自身も含めて。
 繊細な白銀の髪が、指に梳かれてふわりと肩を打つ。その艶やかな一筋一筋が、天使の翼のように宙に泳ぎ、白い法衣の蒼い襞の中に舞い降りた。窓から射す光に照らされたそれは、一瞬、淡い後光が宿り取巻いたかのよう。余韻を楽しんでいたしなやかな指先が、再び、元に位置に収まると。指導者と呼ばれる身には些か行儀悪く、窓枠の縁に物憂げに身を預け、片膝を抱えるようにして桟に腰掛けた彼女は、頬に笑みを浮かべたまま、瞳を伏せた。
 「ここまでは、書かれている台本通り。あなたの望むままに私は演じている……一流の女優、そう呼んで下さってもいいでしょう……教母猊下?」
 フィアナは、先程の最高教会議を思い返し、笑みを浮かべざるを得なかったのだ。皮肉に思いながらも。
 ――玉座に座する少女。ごく自然に黄金の髪を肩から背中に流し、ゆったりと座にその身を座に預けて、氷蒼色の爽やかささえ感じさせる瞳が、穏やかに一同が集う室内を見渡す。一見すると彼女は年の頃十数歳、身の丈は大人の男性の胸ほどしかないのではなかろうか。体つきも、細く無駄なく整って、しなやかさを感じさせはするものの、母性を感じさせるふくよかさは求めるべくもない。むしろ、幼い健康的な柔らかさをそこに見出す者の方が多いだろう。が、その佇まいは温和とはいえ凛とした独特の緊張感を纏い、落ち着いた挙措振舞いには威厳すら感じさせる。ひたと見つめる真摯な眼差しの向こうには、積み重なる時の重みに潰され磨耗したかのような疲労し色褪せた生気と、鋭く研磨された叡智とが見え隠れした。だが、その深く謎を秘めたような瞳から連想されるものとは異なり、実に表情は豊かで、参集する指導者達に向けられたその笑みは、慈母のものというよりも、年相応の少女の楽しげなそれだった。彼女には、幼さと老練さが同居しているようだった。それらの複合体はだが、フィアナの前に、真紅の法衣に包まれ、一人の個性ある人物ではなく、一個の社会的宗教的機関として、厳然として存在していた。
 その教母を前に、フィアナは十五名の指導者達の首座として、最初に口を開いた。
 迫る『大いなる災厄』を前に、それを回避する魔法装置の鍵たる《その者》が見つかったことを。そして、《その者》に与えるべき《鍵》を確保のため、手を打つべきことを。時が来て、《鍵》で《その者》によって扉が開かれれば、莫大な『力』が溢れ出て、この世界へと流れ込む。《その者》は『力』をまとめあげ、掴み取り、振るい、災いを打ち払うだろう。各員はその来るべきその日に備え、《その者》の保護、及び《鍵》の探索に努めるべきこと。あまりにも単純で明確な指示。だが、残された時が、徐々に少なくなっていくことを強調することで、さり気無く、焦燥感を煽ることは忘れなかった。
 『天文方の報告によれば、既に人々にはあの紅い星に不審の念を抱くものも多く見られるという。今は、まだ良い。確たる証拠になる害が発生していないからな。だが、あと幾度か蒼龍の月が黄皇の月を追い越せば、否でも思い知ることになる。そうなる前に、我々は全ての駒を揃えねばならん!』
 結局、この会議は、フィアナの主導の下、幾つかの既定方針の確認に終始した。
 フィアナの狙い通りに。
『グローライト卿の言う通りです。皆さん、今後は《鍵》の行方を追って下さい』
 最後に、彼女の言葉を受けて総括する教母の、外見に比すれば、あまりに力に満ちた落ち着いた声は、列席者の頭を垂れさせるには十分の威令を有していた。少なくとも、教母の向こうに未来を見る者達にとっては。
 ……実のところ、《鍵》の所在については、左程労せずに分かるだろうと、フィアナは思っている。《その者》と違って、確実に存在することが分かっているし、その形態も剣の形をとっているとされているからだ。それらしき情報も彼女の手元に上がっては来ている。動員可能な機動戦力において、修道騎士団を統括する彼女の右に出る者は、この世に存在しない。指導者として民間の情報網を活用し、修道騎士団で探索を行えるのは、最大の強みだ。今まで、クオンを見つける為に割いていた人員を全て振り向ければ、それこそ数日で探索可能なのではなかろうか。そして、そこまでは、彼女と教会の利益……否、目的は一致している。
 問題は、その先。
 フィアナは、再び、外界へと目をやった。
 陽光に隠された、だが、確実に存在する紅い災厄の星を、追い求めるかのごとく。
 ――遂に、刻が来た。
 これからの私にとって、手から零れ落ちる時の砂の一粒は、血の一滴……。ほんの瞬き一つする為の間すらも、無駄には出来ない。決して。
 そして。
 フィアナは小さく咳を一つした。

 薄暗い、廊下。
 壁に一定距離をおいて設けられた嵌め込み式の燭台を飾る、赤く太く長い蝋燭が、ジジっとときおり鈍い音を立てて、辛うじて足元が見える程度の光を、歩む者達に慈悲深く投げかけていた。
 各地の要衝に存在する特に名を知られる大聖堂、それらの全てに、一瞬で人を移動させられる魔法の鏡が立ち並ぶ『鏡の間』。その教会の魔法技術力の粋へと延びるその回廊の中途、一つの巨大な柱の影から押し殺した声で交わされる会話が漏れ聞こえていた。巨大な塔を支えるに相応しい、大人が数人がかりでなければ抱えることも出来ない太さを誇る柱は、装飾の一つも施されていない無骨なもので、一片の優雅さも漂わせておらず、声の主達にある意味似つかわしいものだった。
「……流石は、白の聖女ということか」
「ふむ」
「残念ながら、またしてもグローライト家に名を成さしめたな」
「ああ、またしても、な」
「ほう、随分と余裕があるではないか、貴卿。他人事か? 来るべき世界でもそうあるとよいがな」
「そなたこそ、せいぜい信徒を集めておくがよかろうよ。数も力だ。何もないよりはマシであろうからな」
「ふん。なんら功績を持たぬと、発想も貧困になるものとみゆる。《その者》を手に入れられなかったのも当然と言うべきか」
「……やめぬか。これも想定のうちだ。そもそもグローライトは《絆》の一族だ。その点を考慮すれば、元々我々よりは有利なのは確かなのだからな」
「それはそうだが」
「では、どう巻き返す?」
「まずは《鍵》をおさえよ」
「それは言うまでもないが」
「それだけではな。既にグローライトも動いている。修道騎士に比すれば、我々の手札は見劣りするのは否めぬ」
「所詮は祭司、武官としては及ぶべくもないのは仕方あるまい。だが、我々には我々のやり方があろうというもの……他にも手は打ってある」
 そのとき、蝋燭に照らし出された幾つかの紅い法衣が、確かに、あの星の鈍い輝きを思わせる不吉なきらめきを放ったのだった。

 『力』の高まりを感じる。
 急速な『力』の高まりを。
 それも、この塔の中で。
 この世ならざる異界の閃き。
 本来ならば、存在しない筈の『力』。
 それは、こちらに入り込み、蓄積されていく。
 それは、今は決して破壊的でもないし、開放される気配もない。
 それは、餌を喰らいながら、その時を待ち、雌伏している。ただ、静かに淡々と。
 だが、その質量は、決して看過しうる程度のものではない。既に、それは長い長い血の流れに少しずつ積み重ねられてきたそれに匹敵する。ともすれば、この地を、あの『装置』ごと消滅させる可能性をも秘める危険なものだ。何れ、この『力』が更に強大なものになるのであれば、それは……。
「……そう。そういうこと……。でも、それはあまりにも……」
 無謀。
 そして、あまりにも悲壮だ。
 そこまでして。
 得るもの。
 喪うもの。
 それは果たして、等価値なのだろうか?
「……でも。それでも。あなたにとっては、それが開くべき扉なのね……」
 それぞれの想い。
 それぞれの選択。
 その絶えざる繰り返しが、いつかは終わらざる終わりを終わらせる。
 もし、この選択がその答えとなるのならば。
「そのときは、私が、涙を流しましょう」
 それはきっと、選択する哀しさを知る者にのみ許されることだから。
 ――永遠の選択者にしか出来ないことだから。

 ――騒がしい街中を抜けて、大都市の中心に青々と横たわる『女神の涙』の岸辺近く、港湾都市の如き様相を示す街区の傍らに、堂々とその姿を見せ付ける堂于があった。それは、その向こうに見える聖教府には遠く及ばぬにせよ、その聖教府の美しさを借景に入れ込むことで、自らの荘厳さをいや増していた。町のほとんどの建築物と同じく、積み重ねてもほとんど隙間の生まれぬ程に正確に切り出されれ磨かれた白い石材によって、心地よい幾何学的構造を描く配置の上に建築された、礼拝堂と連なる僧房。その人造物一つ一つが、この人類最大の都に相応しい大きさと、それを芸術品の域にまで高める美しい曲線の数々を宿していた。ところどころの飾り彫りと、石材の組み合わせそのものが描き出す陰影が、不思議と人の目を惹きつけてやまない。今も、行き交う人々のうち幾人かが、立ち止まり、その威容を見上げ、更にその奥に霞む聖教府を見やり、敬虔そのものといった仕草で祈りを捧げている。そのイスティーア聖堂は中央の大扉の前に、クオン一行は居た。
「ここから、聖教府に渡る」
 ヒアデスは、そう一言言い残すと、礼拝堂ではなく、おそらく祭司達の居住区であろう、礼拝堂の奥に延びる一角へと姿を消した。それから、短い蝋燭が一本燃え尽きる程の時が経ったように、クオンに思われた頃。
「……いつまで、待ちゃぁいいんかね?」
 隣でうんざりしきった声が聞こえた。言わずと知れた、自称気のいい盗賊野郎である。
「全然、待っていなかったろう?」
 クオンがぼんやりと、周囲の様子を見たり、明らかにお上りさんと思われるご老人一行様のお相手をしたりして暇を潰していた頃、ジェッター氏はふらっと礼拝堂へと物色に参上し、シエーアは、さっさと先程通り過ぎたばかりの大通りに立ち並ぶ、些か怪しげな店へと駆け込んでいた。
 早い話、体のいい待ち合わせ場所役にされた、クオンは残された最後の一人が勝手にうろつき回る訳にもいかず、ただただ時の流れだけを友人に辛抱強く、礼拝堂の前に立ち尽くしていたのであった。たまに吹き付ける湖からの風が、少し肌に冷たく感じられたのは、果たして季節のせいか、それとも?
 色々と言いたい事があり過ぎて、逆に何も言えないという風な様子に、ジェッターは容赦なく先制した。
「男が細けぇこと気にすんな。シエーアなんか、まだ戻ってないだろ?」
「シエーアを基準にするとは、落ちたもんですなぁ、ジェッターくん」
「いやいや。女性を立てるのが我が家の家訓でしてねぇ……」
 ジェッターは屈託なく笑うと、クオンを促した。
「しかし、ここでボーっとしてても仕方ないだろう。オレッちもいい加減、飽きてきた。ちとヒアデスの旦那をとっちめて来ようと思うんだが、クオンはどうするよ?」
「……シエーアがまだ戻らんからな。ここに居るよ」
 クオンは、それは深い深い溜息をつきながら、それでも気丈に言い放った。少々視線が泳いでいたとしても、仕方がないというものだろう。一行の中では、まぁ一番老成しているというか、諦めが良さそうなクオンではあるが、それでも壮年と呼ぶにはまだ相当の年月が必要なのは、間違えようのない事実である。
「……流石にそれはオレッちの溢れんばかりの良心が痛みまくるな。いいぜ、オレッちがここに残る。クオン、ヒアデスに文句言うなり、シエーアを探すなりして来いよ」
 かなり残念に思っているのが、表情にも声にも出まくっているはいるが、それでもきっぱりとした口調で、ジェッターは言った。
「いや、しかし」
「何、ここで参拝者を観察するのも、情報収集の一つさ。そういうのはオレッちの専売特許なんだから、邪魔線でくれたまへよクオンくん」
「そうか。じゃ、お言葉に甘えて……」
「そうしろよ」
 どこかしら、投げ遣りなジェッターの言葉に送られて、クオンはごきごきと音のする身体をほぐしながら、漸く礼拝堂の前を立ち去ることにしたのだった。

 ――周囲には、白いものが舞い散っていた。
 それは音を吸い上げながら、大地を木々を白く染め上げていた。既に足元はくるぶしまで埋められ、一歩一歩踏み出すごとにぎゅっと音を立てて抗議してくる。
「雪、ですか……」
 それは、心まで清めてくれるようで。
 でも、同時にあの女性指導者を思い出させて。
 彼は、楽しげな表情を浮かべながらも、深刻げな溜息をついた。白い吐息が冷たい空気に一際目立つ儚い芸術を描きあげる。彼はどこまでも広がるどんよりとした鈍色の低い空を見上げると、一言呟いた。
「それにしても……ここは、どこなんでしょうね?」
 寒風が吹き付けて、一瞬、視界を白く覆った。
 再び、白いものが彼をからかうようにふわふわと振り落ちてくる。
 ――トレートティースを出た青年は、迷っていた。


artemis (05.04.01)
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