JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





八周目四番



 踏み出した足の下で、ほとんど実体すらないかに思える、その冷たく白いものがずぶりと沈み込む。足首まで沈み込んだ靴の下で、実体がないわけではないことを主張するかのように、その押し潰された白いものが、きゅっ、と音をたてる。
「……古代の地下通路を抜けるとそこは雪国でした……ってか?」
「へぇ……あなたの口からそんな古典の一説が出てくるとは予想外だわ」
 声の聞こえてきたほうに振り返る。
 セレンティア――水のセレンティアと名乗った女性は、かれの隣を歩いている。ただし、その足が雪に沈み込む様子はない。その靴は雪に沈むどころか新雪の表面に痕跡すら残さない。
「古い伝説では、ある種の妖精族は新雪に足跡を残さずに歩くことができたっていうが……お前がそうだとは思えないがな?」
「……あなた、見かけによらず博識か、それとも知識が偏ってるかのどちらかなのね」
 笑いを含んだ声。それは、エルフィスにとっては、なんとなく不快感をかきたてられるものだ。
「さぁ、ね。俺には自分じゃどっちかはわからねェけどな」
 不機嫌に云って、振り返る。雪の上に記された足跡はひとり分のみ。すでにたえまなく降る雪に埋められその形の判別はつかなくなりつつある足跡は、岩肌を露出させた山腹に発している。
 ヤーゴへは、かれの知識だけを頼りに進むならば、山をひとつ越えなければ到達できないはずだった。この、雪の上に足跡を残さずに歩く女性が、かれにもうひとつの選択肢を与えた。古代に掘られた、ヤーゴへと山越えをせずに至ることのできる地下通路が存在している、という知識を。
 けもの道すらない森の中を、平然と彼女は案内し、山肌に巧妙に偽装されたその地下通路の入口を示した。
 中で幾晩かを過ごすことになったものの、確かに山越えをするよりはずっと楽に通過し、また巧妙に岩肌に偽装された出口を出てこうして外をヤーゴに向かって歩いているのではあるが――。
「おい、本当にこっちでいいんだろうな?」
「その筈なんだけどね……」
「その筈、って、なぁ」
「いや、私も何度も通ってるんだから、間違いはないなずなんだけれど……」
「風吹きすさぶヤーゴ、ってぇ呼び名とはどうにも似合わねぇぞ、この雪景色は」
「そうなのよね……」
 視線を前方に戻す。
 ヤーゴ一帯は冬の降水量が著しく少なく、冬場に猛烈な風が吹きすさぶことで知られている。しかるに、今かれらが歩いている土地は、その知られている特徴とは正反対の様相を呈している。風はなくはないものの穏やかで、ひっきりなしに雪が降り続ける風景――。
「……くそ、この調子で降り続けたら、ヤーゴに着くまでには相当に積もりそうだぞ。お前の、その、雪の上を歩けるのが魔法だったらこっちにもかけてくれるわけにはいかねぇのか?」
「残念ながら、この術は自分にしか効果がないのよ」
「……そうかい……」
 ため息まじりに答える。
「水に関する術は得意なんだけどね。他人に使えるかどうかはまた別なの」
「水、ねぇ」
「水よ」
 積もった雪にあらゆる音は吸い込まれ、周囲は恐ろしいほどの沈黙が支配している。その沈黙の中で聞こえるのは、自分が雪を踏む音、そして、ふたりが交わす言葉だけだ。雪の上を歩く彼女の足はまるで音をたてないのだ。かれがしつこく話しかける理由のひとつは、足音をたてない彼女が、知らぬ間に消えうせてしまうのではないかという不安だ。見当違いの土地に連れ込まれて放り出されたのではたまったものではない。まぁ、話している間は大丈夫だという根拠もまた、ないわけではあるが。
「雪が溶ければ水になる。知ってるでしょ?」
「――バカにしてんのか?」
 一瞬、まぶたを誰かの面影がかすめる。誰か。屈託なく笑う少女。かれの妹。幼いころ、シエーアがその問いに答えた言葉を思い出す。
(雪が溶けたら春になるんだよ……か……)
「水のセレンティア……か……」
「そう、私は水のセレンティア」
「水、ねぇ」
 腰に手をやり、そこに先日手に入れた短剣が吊るされていることを確認する。青の剣は水にかかわる魔力を有しているようだ。もうずいぶん手に馴染んだ紅蓮鳳凰は炎に関連した魔力を帯びている。
「ってことは、他に、火とか風とかの称号を持ってるヤツもいるのかい?」
 返答はなかった。
 振り向く。いなくなったわけではない。セレンティアはそこを歩いている。いつも笑みを絶やさない、その表情に変化はない。いや――。
 どこが、とはいえないが、なんとなく、その笑みに翳りが――あるいは苦さのようなものがともなっているように、エルフィスは思った。それとも、返答が遅れたが故にそう思ってしまっただけだろうか。
「風、は、いる。今は別行動を取っているけど、私の仲間よ。いずれ、紹介するわ」
「そうかい」
「火は――」
 今度は、ほんの一瞬だが明らかに、その口許が何か激しい感情を表すように歪むのを、エルフィスは見た。
「火は、いない」
「……そうかい」
「炎の称号を持つ者はいない。あるいは、どこかに、いる」
「……なんだそりゃ?」
「この称号は、私達の――同胞たちの間で、代々受け継がれるもの。でも、「炎の」の称号を持つ者が、ずっと昔に裏切った。裏切って、同志を捨てて消えた。ずっと昔――私が生まれるより前のことだと聞いているけど」
「同胞たち、ねぇ」
 何か、ここにはない何か――あるいは誰かを睨むかのように、かれを見ずに、セレンティアは言葉を続ける。
「そうして、私達は裏切り者を、「炎」の称号を持つ裏切り者を探し続けてもいる。――ふふ、これは「予言」の件とはまったく別だけれど、同じくらい、私達にとっては重要なこと……」
「――ふん、いつになく饒舌じゃねぇか?」
 その言葉に、セレンティアが一瞬、表情をなくした。
「……そうね。あなたの名前のせい、かもね」
「俺の名だと?」
「エルフィス」
「ああ、エルフィスだ」
 その名は、本当のかれの名ではない。だが、幾度か名を変えながら生きてきた日々のおかげで、今のかれは、今自分が名乗ってる名が生まれたときからの自分の名であるかのごとく自分でも信じ込めるようになっている。
 とはいえ、そうして名を変えてきた事実もそれぞれの名の由来も忘れたことはない。
 ふと、疑問が頭をかすめる。この女、かれが資格者であることを知っていたのなら、かれが一度ならず名を変えていることも知っているのではないか――?
「その名が、ね」
 セレンティアの視線がまた、ここにではない場所に一瞬、向けられる。
「多くの記録がその騒動で失われたという。当時の同志たちも相当の数がこの騒動で命を落としてしまって、記録も記憶も定かには残っていないけれど、その裏切り者が、「エル」と通称されていたことだけはわかっているのよ」
「エル……だと?」
「……何か心当たりでもあるの?」
 エルフィスは、振り向かなかった。振り向いたら、どんな表情を目にしてしまうか、それが、なんとなく恐ろしくなって。
「……ああ、まぁ、なくもないんだけどな。死んだよ」
「……そう……」
「ま、止めを刺したのは俺じゃないが、俺が殺したようなモンだな」
 かれの脳裏に、いっとき、行動をともにしていた女魔術師の面影が蘇った。その女魔術師は炎の呪文が得意だった。名前は、そう、エル――エル、なんといったか。
 そう、かれの知っているエルは死んだ。
 今、かれが行動をともにしている女と、そういえば、なんとなく似ている。顔や体格が、ではない。女で、魔術の使い手で、そして何かたくらみを隠してかれに近づいてくる女。
(クソったれ。よくよく女運が悪いのか、俺は)
 チェルシー、エル、セレンティア。
「で、ヤーゴまではあとどのくらいだ?」

 彼女の前を、ふたりの女性が歩いてゆく。黒いのと、からかいがいのあるのと。道をはずれて森の中に踏み込んだとき、ふたりは彼女のすぐ目の前にいたはずだ。今は、ずいぶんと先を歩いている。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ。わたしはあんたたちと違って余計な筋肉がついていないんだから!」
 からかいがいのあるほうが立ち止まって振り返る。
「余計な、じゃなくて、必要な、でしょ」
「こ、この体力バカ女……ここぞとばかりに……」
「ちょっとは鍛えたら? 鍛錬するならいつでもつきあうけど? 手加減なしで」
「あーはいはいそうですか、よっこらせ……っと! ったく、なんでこんなところにまで我が物顔で木の根が出てるのよ! いっとくけど、わたしが手加減なしだったらこんな森なんか日が暮れるまでにあとかたもなくきれいさっぱり消し炭に」
「それは困ります……」
 振り返って答えたのは黒いのだった。
「私達が向かっている場所は、人に知られてはならない場所です。森がなくなって簡単にみつかってしまうようでは困ります……」
「そうそう。まったく、ちょっと鍛えればどうってことないこの程度の森でちょっと疲れたからって、消し炭? まったく、野蛮人はこれだから困る」
「……こ、この体力バカ女……」
 それでも、何だかんだと云いつつ、足を止めて待っていてくれるらしい。先行していた二人に追いついて、マリエルは手近の木にもたれてぜいぜいと息をついた。
「休憩。きゅーけー。ね、ティオレ、きゅーけー」
「仕方ないですね……まぁ、半分は来たと思いますし、少し早いですが昼食にしますか」
「さっすが聖職者、話がわかるわ」
「あまり野蛮人を甘やかさないほうがいいと思うけれど」
「まぁ、消し炭にされても困りますし」
 耳を貸さずに、エルは荷物から水筒を取り出して、中身を喉に流し込んだ。
「ふぅ……生き返ったぁ……」
「で、その教会に、何があるの? ティオレ?」
「鏡が」
 自分も水筒を取り出しながら、表情を変えずにティオレは答えた。
「鏡? ――鏡って、その、自分の姿を映したりするあの鏡?」
「そうです」
「でも、それだけじゃないのよ、教会の云う、《鏡》ってのはね」
 杖にもたれながら、マリエルが会話に加わる。
「それだけじゃない……?」
「そう、教会には、特殊な魔力を帯びた鏡があるの。教会の魔法技術の粋たる鏡。その鏡は瞬時に、どんなに遠く離れた場所へでも、人を移動させることができる」
 すっ、と、ティオレの目が細められる。ほんの少し。注意して見ていなければわからないぐらいに、わずかな表情の変化。
「それを御存知とは。教会でもごく限られた者しか知らない秘密だというのに」
「まぁ、少なくともそこの筋肉バカは知らないでしょうね」
「……大きなお世話」
「とにかく、そういう鏡があるのよ、教会には、ね。それぞれの鏡はそれぞれ特定の場所から特定の場所への移動のみが可能で、作るときにその出発点と到着点を同時に指定しなければならない。この世界における「位置」に関する複雑な魔術的方程式をいくつも組み合わせて導き出された手順に厳密に従って、ね」
「実際の手順とその計算式は教会の最高機密ですが、まさか、それまで御存知ということはないでしょうね、エル?」
「まさか、そこまではね。というより、たとえわたしがそれに触れる機会があったとしても、到底わたしに理解できるような代物ではないでしょうね」
 ティオレが頷く。
「それを理解できる頭脳は人間の頭脳とは本質的にどこかが異なっているのだとさえ囁かれています」
「――で、その教会の魔法技術の粋とやらが、この森の奥に隠されている?」
 ソウカの問いに、ティオレはまた、こくりと頷く。
「世界中、いたるところにそうした鏡は隠されています。何らかの緊急事態において、秘密裏に使用されるために。私も、今回の任務のために今向かっている鏡の場所は教えられましたが、他のそうした鏡の場所は知りません」
「その鏡を使えばイスティーアまでひとっ飛び? だったら、今ちょっとこの道なき道に苦労しても、結果的にはそのほうが楽できそうね」
「イスティーアまで、では、ありません。残念ながら。いかに隠されているとはいえ、瞬時にイスティーアに到達できる鏡がそんなにたくさんあるという事態は、聖都の防衛という観点からして認められるものではありませんから」
「それじゃ、どこへ?」
「ヤーゴへ、です」
「ヤーゴ……」
 どちらからともなく、マリエルとソウカが顔を見合わせる。マリエルがばちりと睫毛で風を切るウィンクを飛ばし、ソウカがあわてて目をそらす。
「ヤーゴ、「風吹きすさぶ」ヤーゴ……?」
「ここからならば、イスティーアまではずいぶん距離を省略できます」
「ふぅん……」
「な、何?」
 じろじろと、無遠慮にその体を眺めるマリエルに、無意識に腕で体の前面を隠したりなんかしながら、ソウカが後ずさる。
「いや、その名高いヤーゴの寒風は、その服装だとちょーっとツラいんじゃないかなぁーと思って」
「……大きなお世話……」
「まぁ、わたしの炎の魔術なら、ちょっとぐらい強烈な風が吹いても消えない炎で優しくソウカちゃんの柔肌をあっためてあげることもできなくもないんだけどー、でもソウカちゃんは、わたしの魔術じゃ消し炭にされちゃいそうで怖いかなーってだから剣から手を離しなさいな、ね、ね? ソウカちゃん?」
「ティオレ」
「はい」
「今日は森林での戦いの鍛錬を」
「わかりました」
「こ、この筋肉バカ女……」
 口の中で、エルはつぶやいた。


DRR (05.04.21)
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