JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





九周目二番



 シエーアが無性に心惹かれた店。
 十人が十人、怪しげな店と呼ぶであろう、露店よりはマシな程度のありふれた店。
 その店は、白い街の中では少々悪目立ちする、些か薄汚れた感じの、大通りから裏通りに抜ける小道のすぐ横に位置した小さな建物にあった。外の輝きに眩んだかのように、室内は闇に近い暗さに満たされていた。不可思議な静穏を感じさせる狭い空間を溢れんばかりに覆いつくす、様々な小物。それは或いは、奇妙に捩れ曲がった花瓶であったり、複雑に幾筋かの組紐から織り上げられた色鮮やかな腕飾りであったり、心騒がせる異国情緒漂う香りを齎す小さな炉であったりするのだった。
 シエーアは、その小柄な身体を、処狭しと並べられた小物や、商品を見せるというよりは重ね置いた棚の間に潜り込ませるようにしながら、一つ一つ丹念に品定めをしていく。その目は、普段のお気楽な雰囲気からは想像し難い程に、真剣な光を湛えていた。
「ふーん。エグラック王の時代のものか……。結構、状態いいんじゃない」
 円を幾重にも組合わせた意匠が刻み込まれた、銀の器。
 古の世、王侯達だけが口にすることを許されたというクルール茶を飲む為のものだろうか。
 時による、積み重ねられた時の重みによる、熟成。
 最早、かつての輝きは疾うに喪われ、薄く膜を貼ったかの如く鈍い曇りに包まれてはいたが、そこには傷らしい傷は見当たらなかった。そっと手にとってみると、器の内側の中央に描かれた一際に目立つ円の装飾の中央に、幾粒かの赤や青の煌きが目に入った。
 小さいながらも、明確な自己主張を見せ付ける、貴石。その控えめな使い方が、上品な美麗さを演出しているようだった。
「……お目が高い……」
「っわきゃぁっ!?」
 自分でも気付かないうちに夢中になっていたのだろうか、背後の気配に全く気付かなかったシエーアは、まるでこういう風に驚いてくれたら楽しいだろうなと人が期待する姿そのままに、文字通り飛び上がって驚いた。
 はずみで、辺りの品々が、かたりと些か賑やかに踊った。
 少々黴臭い、乾いた空気の中に、えもいわれぬ馥郁たる香りが漂う。
 香炉でも倒したのかもしれない。
「と、と」
 シエーアは、ここで何か一つでも壊したら一大事と、慌てて周囲を見渡した。
 シエーアの密かに誇る審美眼の見るところ、手に届くところにある食器の類だけでも、傭兵働き一回分の報酬よりは値が張るのは間違いないように思わるのだ。どちらかといえば骨董のような代物が目に付くのだ、ちょっとしたことでどんな弁償をしなければならなくなることか。
 シエーアは、まるでジェッターのように、一見軽やかに見えるが、全身に緊張感を秘めた慎重な動作で振り向いた。
「いらっしゃいませ」
 声は、少しかすれていた。
 男だとは思ったが、女性でもおかしくはないような高さの、平板な声。背の丈は、シエーアよりは高いが、平均的な男よりは低いだろう。クオンやジェッターよりはかなり低いように思えた。どちらかといえば丸みを感じさせる体つき。赤茶けたフードをすっぽりと被り、顔は窺い知れない。その佇まいは生きているかも分からないほど静かなもの。あたりを覆う香りと相まって、神秘的とすら呼べる雰囲気を醸し出している。
「あ、えーと……」
 暫し無言の視線を受けて、シエーアは何か言わなければいけないという強迫観念に駆られ、とりあえず口を開いた。
「……お客様には、これがよろしいかと」
 全く同時に。
 店主が言った。そして、シエーアがまるでそこに存在しないかのように、彼女の耳のすぐ横へ真っ直ぐに手を伸ばすと、そのまま少女の背中に掛かっていた首飾りを取った。
 その優雅な手つきは、巫女たる踊り手の舞を思わせた。
 意外に骨ばった手にのせられて少女に差し出されたのは、黒く細い鎖とその先につながれた掌大の黒い貴石から成る、単純な装飾品だった。
「今より、二百年ほど前に流行した型でございます」
 呟くようにもらされた言葉を認識するかしないかのうちに、それはシエーアの首に掛けられていた。
 小さいながらも、意外な重みがあり、それがなんとも心地良い。
「これは、何?」
 思わず、その貴石を手にとって見ると、その一面は鏡のように磨き上げられていた。その端に小さく大地を意味する文様が刻みこまれているようだった。確かに、この型の装身具はよく知っていたが、この黒い貴石は、シエーアが初めて眼にするものだった。
「黒晶石……数が少ない為、商いをされぬ方ではご存知ないかもしれませぬ」
「黒晶石?」
「はい。……かつて、女神の掌より産出したといわれております。魔術師達が好んで用いたというものであれば、お客様には、きっとお役に立つかと……」
「え、ボクが魔術師って分かるのっ!?」
「それは、もう……」
 シエーアは、目を見開いた。彼女は、世間一般が抱く魔術師の姿からは程遠い、というか対極に近い雰囲気を持っている。初対面の人間には、まずそうと悟られることはない。
「ひょっとして、同業者だったり?」
 シエーアが、警戒半ば、好奇心半ばといった口調で尋ねた。同業者の商売は、危険と隣り合わせのものが多い。相手がもし魔術師ならば、この黒晶石とやらも、次の瞬間には爆発したところで驚くには値しないだろう。
 とはいえ、この店主には『力』を感じない。いや、むしろ、『力』どころか、かくたる存在感、人たる生命力そのものを感じ取れない気がするのだが……。
「……客商売をしていれば、自ずと分かるものでございますよ……品々が求める主というものが……」
 店主は、直接には答えずに応じた。その指先が、シエーアの胸先、首から下げられた貴石を指す。今や息苦しい程になった甘い酔わせるような香りが、ただそれだけの身体の動きに掻き乱され、シエーアを更にその深奥へと埋めゆく。
 視界が僅かに歪んだような気がした。
 店主の姿が徐々に闇に溶け込み、ただただ暗黒が広がって、立ち塞がる。
「黒晶石は、またの名を『大地の瞳』と申します……。さて、お客様はその瞳の中に何を見出されましょうや……」
 遠くから、まるで天の告げ下す神託の如く、陰々と、その声は心に響き……。

 ――気付けば。
 シエーアは世界に名立たるイスティーアの太陽大路に一人佇んでいた。
 まるで、世界が彼女一人を残して、自ら歩み去ったかのような錯覚に捉えられ、呆然と、ただただ辺りを見回す。だが、彼女の視界に映るのは、活気に満ちた忙しげに行きかう数多の人の群れ。何の変哲もない、大都市の一風景に過ぎなかった。そこには、つい先程まで彼女を包み込んでいた、不可思議な空間を思わせるものは何もなかった。そう、その大通りに立ち並ぶ、所謂、怪しげな店にすら。あるのは、ごくごく普通の胡散臭げな、真贋入り混じった骨董や、薬毒相半ばする草花の並ぶ小店の数々であり、決して少女を魅了する異界ではなかったのだった。
 それでも、名残惜しげにひとしきり通りを眺めて後、ふと胸に目をやると、あの黒い首飾りが静かに揺れていた。
 まるで、夢の残滓を漂わせるかの如く――

 太陽大路の喧騒がすぐ横に聞こえる、廃屋の一部屋。部屋の半ばを占めるのは、古い、黒く汚れ、あちこちが腐り欠け落ちた木製の机。何れもとても日々使われているものとは思えない、空虚さを抱えていた。
 その、おそらくは幾年振りかに人の手に触れられたであろう、物を置ける事自体が奇跡のような廃品そのものの机の上に輝くは、二の腕ほどの大きさの水晶。
 空気が凝固したかの如き透明さを宿す結晶から放たれた揺れ動く光の幕の向こうに、ぼんやりと浮かぶのは呆然としている少女の姿。幕の上を時が流れ、その少女の背後から、資格者が現れ、何かしら話しかけている様を更に水晶は映し出す。飛び交う言葉までは目にすることは出来ぬが、暫くすると、二人はじゃれ合うようにして立ち去った。正確には、少女が一方的に青年にじゃれつきながら、その場を立ち去って行くのが見えたところで、唐突に物語を語る光の幕は消え、この僅かな間ではあるが主役を務めあげた件の資格者と少女二人の姿も闇に沈んだ。
 廃屋を支える、隙間だらけの壁から差し込む陽光が、机に向かう赤茶けたローブを纏う者の姿を微かに照らし出す。
「さて。地としての義理は果たしたぞ、クレイトン……どう使うかは、お前たち次第だ」
 面白くもなさそうに赤茶けたフードの向こうから、声が零れ落ちた。
 低い、男女の分からぬ声音。
「つまらぬことだな、まったく」
 伸ばされた手にとられ、水晶が衣の中に消えた。ほんの少し、ローブが揺れる。
「これで、少しでも面白いことが起きるのならば、甲斐もあるというものだがな」
 ……あの水姫の言葉が正しいのであれば、おそらく、この後、あの少女は聖教府へと向かう筈だ。
 黒晶石には様々な使い道がある。特に、あの少女と、黒晶石は相性が良いようだった。うまく使ったなら、堅牢なる大地のように平穏無事なる聖都や聖教府にも、何かしらの波紋を起こしうるかもしれぬ。
「ひょっとしたら、シエーアだったか? 風や水よりあの少女が面白くしてくれるかもしれんな」
 そして今度は、声の主が姿を消した。
 それまでの不機嫌そうな雰囲気とは一変して、含み笑いを漏らしながら。
 後に残るは、遂に力尽きて崩れ落ちた、原型を留めぬ古い机の残骸と、あの、心蕩かすほどに甘く、頭の芯まで酔わせきるような、息苦しい程の馥郁たる香り。
 ただ、それだけだった……。


artemis (05.05.25)
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