JOL 的 リレー小説


タイトル未定



 現在進行中のリレー小説はこちらからどうぞ。(直リンは何故かはじかれる模様)





九周目三番



 灰色の空から、ひっきりなしに雪が降り続ける。
 「風吹きすさぶヤーゴ」の名に似合わぬ穏やかな風の中で、その無数の小さな、白い羽毛のようなかたまりは、それを見る者の目を惑わそうとでもいうように不規則に、右へ、左へ、踊りながら、ゆっくりと降りてゆく。
 足元には、足跡ひとつない新雪。その新雪の野にはいくつもの石の碑が生え、それらも同じく降りしきる雪をかぶっている。
 ヤーゴのふるい教会の裏手に広がる墓地だ。
「こちらです」
 その積雪のもたらす圧倒的な静寂と、その景色じたいが静寂を表現しているかのような墓地のたたずまいに一瞬圧倒され、立ち止まってしまったかれの隣で、細い声が言った。
 少女、と呼べる年齢では、さすがに、ない。だが、若い娘だ。かれが訪ねてきたその父がつい先日老衰で死んだという話が信じられなくなるぐらいには。
 迷いのない足取りで、その女性は墓地の中に踏み込んでゆく。剣聖ヴァイの娘ジェナと名乗った女性。剣聖が相当な歳になってから生まれた娘なのだろう。そのあとに続き、かれも歩を進める。
 並ぶ墓石のひとつの前で、ジェナは立ち止まった。隣にかれが立つのを待って、そっと手をさしのべ、手袋に覆われた手で丁寧に墓石の上に積もった雪を払う。強風の地で、おもに風除けのために使われるのであろうその手袋は、いかにも薄く、防水性もなく、雪と格闘するには不向きなように見えた。
 刻まれたその名、剣聖と称えられたヴァイの名を見て、かれは嘆息した。
 そのすぐ下に書かれた没年は今年のもの。まだ遺品の整理も済んでいないのだとジェナは言っていた。
(剣聖も、歳には勝てない、ってことか……)
 かれは、ヴァイに会ったことはなかった。しかし、その勇名を知らぬものは、剣技をかじった者にはいないだろう。かれが生まれたころにすでに「剣聖」と呼ばれていた不世出の達人ヴァイ。《碧樹双麒》は、その剣聖が若い頃に某国の武闘大会に優勝したときに与えられたものだといわれる。
 最悪、その剣聖と戦って剣を奪うことすら覚悟していたかれだが――。
 瞑目し、頭を垂れる。
 伝説に語られるその剣豪の面影をまぶたに描く。真っ白な剛毛の総髪と胸元まである白髯、まっすぐに名刀をもって切り込んだが如き切れ長の双眸、戦場を駆け抜けた年月に刻まれた深い皺、その戦歴の証たる、右のこめかみから頬を縦に走る傷痕。その傷痕こそ、《碧樹双麒》を手にすることとなったかの武闘会で受けたものだという――。
 それはかれが剣を学びはじめた頃に伝え聞いたヴァイの顔。そのころからすでに老人と呼べる年齢だったのだ。
 ゆっくりと目を開ける。景色は変わらない。弱い風の中で静かに降り続ける雪は、目の前で踊り、その向こうで、さらにその向こうで、まったくばらばらの方向に揺れ踊りながら大地を白く染めてゆく。
 振り返ると、頭ひとつ長身のかれのその横顔をじっとみつめていたらしいジェナの目と目があった。
 背の高さはまぁ人並みといったところだろう。幅は同年代の女性たちよりも明らかに細い。一見、剣聖の娘というその生い立ちを感じさせない体格だが、かれの――あまり目つきがよろしくないということは自覚している――目をまっすぐに見つめて動じる様子もないのは、やはり血筋ゆえか。
 真摯な瞳にかえって自分のほうがたじろぎそうになるのを、かろうじて、かれは抑えた。
 ジェナがふと視線をそらした。
「ずいぶんとたくさんの剣をお持ちですのね」
「……ああ、確かに」
 応えて、かすかに自分の声がかすれていることに気づく。
 剣聖の娘だから他人の剣が気になった、というだけのことではあるまい。
 そのために、かれは来た。そして、彼女もそれに気づいているのだろう。
「見せていただけますか?」
「喜んで」
 一歩さがる。腰に吊った、あるいは差した、三振りの剣。そのひと振りをゆっくりと抜く。真紅の刀身がそれ自らの光できらめく。ゆっくりと、それで足元の大地を指すように、降ろす。切っ先を中心に、じゅっ、と音を立てて雪が溶け、湯気が上がった。
 できた小さな水たまりをそのままに、その剣を鞘に収め、別のひと振り――青い刀身を持つ短剣を引き抜く。ゆっくりと腰を落とし、片膝をついて、その水溜りに切っ先を触れる。
 瞬時に凍りついた水面は鏡のように、それを見下ろすジェナの顔を映した。それを、降り続ける雪がまた覆ってゆく。
「いま一度、屋敷へおいでください」
 静かに、ジェナが言った。
「エルフィス、父はあなたを待っていました」

 ふたつの人影がこちらに向かって歩き出すのを見て、青年は窓の前から離れた。
 黒い瞳が、明かりも灯さぬ部屋の入口から、かれを見つめている。教会の、一般の人々が立ち入ることのない裏側の部屋だ。そこから、かれは、先日老いに斃れた剣聖の墓を訪れたふたりの客を見ていたのだった。
「かくして、三つの鍵をひとつの標は揃った――いや、まさに揃わんとしている、といったところですか」
 入口に立った女性は答えない。黒い瞳にも、今ヤーゴを覆っている雪にも劣らぬ白さのその顔にも、感情の兆しも見て取ることはできない。
 青年が窓を閉じる。見た目はまだやっと神父として一人前になるかならないかの若者に見える。だが、その青年の歳はともかく、立場がそんな単純なものではないということは、彼女には重々わかっていた。彼女がそうであるように、かれもまた、この特別な時代において特別な役割を与えられているのだ。
「いかがいたしましょうか」
 しばしの沈黙に続いて発せられた彼女の問いに、青年は穏やかに微笑んだ。
「今は何をする必要もないでしょう。かれがわれわれの求めている人物ではないことは明らかですが、依然として資格者ではあり続けている。三つの鍵とひとつの標を聖都に運ぶのに、かれ以上の適任者はいないでしょう。――やれやれ、後で拭いておかなければ……」
 視線を床に落としてつぶやく。窓を開けていたおかげで、少なからぬ量の雪が吹き込んで、部屋の質素な、しかし磨き上げられた木の床を濡らしていた。
「かれらはかれらの企みを持って行動していますが、かれらの目的のためにも、かれらは聖都に向かわざるを得ません。かれらが聖都に着き次第、事態は動き出すと考えて間違いないでしょう。あなたはかれらに遅れぬよう、急ぎ聖都に向かってください。ああ、あなた、というよりもあなた方、といったほうがいいかもしれませんが」
「……わたしの同行者も、ですか?」
「置いてゆくつもりだったので?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「あなたの連れてきたあの少女は、あの男を――なりそこないの資格者を仇と狙っています。今、あの男を倒して貰っては状況を悪化させる可能性が大きい――もっとも、今、かれを倒せるかどうかというのは別問題ですが。しかし、かれが《その者》でない以上は、かれはいずれ誰かに倒されなければならない。聖都到着以降に、ね。適任者はあの少女だと思いませんか?」
「――私には何とも」
 返答には、しばしの沈黙が先立った。
 それから、何かに気づいたように、視線を自分の背後の扉に走らせる。素早く、滑るように、扉の前から横に移動する。
 あるかなきかの足音がして、扉を控えめなノックが叩いた。
「どうぞ」
 扉が部屋の内側に向かって開く。戸口に立ったのは、剣聖の娘と、見知らぬ――ということになっている――旅の剣士だった。
「では、私たちは戻ります」
「わかりました。どうもおかしな天気ですが、風邪などお召しになりませんよう」
「神父さまも。ヤーゴに赴任早々で大変ですけれど」
「なに、むしろこうした天候には慣れていますよ」
 穏やかな微笑みに、剣聖の娘が一礼して応える。
「では」
 扉が、開いたときと同様、静かに閉ざされた。その扉の、開いている間は陰になっていた場所から黒衣の女聖職者が音もなく歩み出る。
「では、私も出発の準備を」
「そうですね」
 青年はうなずいた。
「教会は――そして私は、ずっとこのときを恐れ、そして同時に待ち望んでいた……」
 明かりを灯さぬ部屋の中で、背後の窓から差しこむ、ぶあつい雲ごしの弱い日の光を背負って、青年神父がどんな顔をしているのかは、彼女には見えない。見えないのだが、青年が笑みを――父の墓参りにきた女性に向けたものとはまったく別の種類の笑みを浮かべているように、彼女は、思った。
「ここから始まる――そう、このときのために、私も、ティオレ、あなたも、そして教会も、存在していたのです」
 ゆっくりと、彼女はうなずいた。
「――心得ております。すべては神のお導きのままに」
「私たちに神の正しき導きがあらんことを、Amen」
「Aman」


DRR (05.06.02)
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